宇宙基本法の狙いと問題点

藤岡 惇

   

四時間というスピード審議で成立

 二〇〇七年六月二〇日、自民・公明両党は、議員立法のかたちで「宇宙基本法案」を国会に上程した。安倍内閣の退陣、軍事汚職の表面化といった事態をうけて、この法案はたなざらしされていたが、与党と民主党の国防族・宇宙族議員同士の水面下の談合が実を結び、〇八年五月八日に微調整された宇宙基本法案が自民・公明・民主三党によって再提出された。
 一九六九年五月の「宇宙の開発・利用は、平和の目的に限る」という両院での全会一致の決議にもとづき、宇宙開発は、原子力開発と同様に平和=非軍事の枠内で行うという方針をわが国は堅持してきた。宇宙基本法案の最大の目的は、この「国是」を捨て、宇宙の軍事利用を解禁することにあった。第一四条には「国は、国際社会の平和及び安全の確保並びに我が国の安全保障に資する宇宙開発利用を推進するため、必要な施策を講ずるものとする」と明記されている。
 再提出後、同法案の審議は異常な速さで進んだ。上程翌日の五月九日、衆議院内閣委員会において、わずか二時間の審議の末に同法案は可決された。わが国宇宙政策の大転換を意味する同法案が、まともな審議なしに可決されたことを憂えて、翌朝の『朝日新聞』は、「余りに安易で拙速な大転換」だと警告する社説を出した。しかしその後も、採決だけを急ぐ議事運営がまかり通り、一三日の衆議院本会議では共産党・社会民主党の反対をおしきり、可決された。
 野党が多数を占める参議院に移っても事態は変わらなかった。五月二〇日内閣委員会では、衆議院と同様二時間の質疑を許しただけで審議が打ち切られた。質疑のなかで民主党の谷岡郁子議員は「宇宙開発利用の安全保障分野が軍需産業を育成し、日本が産軍複合国家への道を歩む突破口になるのではないか」と質問したのにたいして、提案側の細野豪志議員(同じく民主党)は「あくまで専守防衛の範囲内で宇宙利用を行う」と答弁した。こうして翌五月二一日の本会議で、同法案は賛成二二一名、反対一四名という大差で成立した。反対票を投じたのは、共産党・社民党のほかは糸数慶子・川田龍平両議員(田中康夫議員は棄権)だけであった。
 二一日は、宇宙軍拡最大の受益者となる日本航空宇宙工業会の通常総会の日。夕刻から開かれた工業会のパーティには、推進派議員が続々集まり、同法の成立を祝う盛大な宴会となったという。 私は民主党の有力議員にファクスを送り、慎重審議を要請した。参考人として国会で証言する用意があるとも書いたのであるが、私の願いは適えられなかった。
 私が証言したいと考えた宇宙基本法案の問題点とは何か。以下、この点を明らかにしておきたい。

   

宇宙の軍事利用が歯止めなく進む

 基本法案を推進した議員たちは、同法第二条に「宇宙開発利用は、・・・日本国憲法の平和主義の理念にのっとり、行われるものとする」という文言が入ったことをもって、「宇宙の軍事利用」だけが暴走する心配はないし、軍拡競争を促進する恐れもないと弁明する。衆議院内閣委員会における吉井英勝議員(共産党)の質問にたいして、提案者側は宇宙の軍事利用には「専守防衛の範囲内」という歯止めがあると答弁したが、「どのレベル、どの範囲の軍事利用が可能となるのか」という質問にたいしては「科学技術水準や国際情勢に照らしてその都度判断する」というあいまいな答弁しかできなかった。「他国の衛星を攻撃・破壊するキラー衛星の保有」も否定しなかったという。
 前稿で述べたように(藤岡 惇「MDと宇宙軍拡」『世界』〇七年四月号)、宇宙の軍事利用には次の五つの段階がある。第一段階は、監視衛星や通信衛星の配備など、情報収集・通信のための宇宙の軍事利用だ。
 第二段階とは〇三年に始まったイラク戦争のように、戦争の中枢神経系統が宇宙に移され、宇宙ベースで「ネットワーク中心型の戦争」を戦うという段階だ。宇宙に実戦兵器こそ配備されていないが、日本が、この段階の宇宙利用に踏みこむと、自衛隊の攻撃能力は飛躍的に強化され、周辺諸国を怯えさせることは間違いない。
 第三段階とは、地球上から天空を飛ぶ軍事衛星を攻撃し破壊する段階だ。宇宙の戦場化の悪夢が現実のものとなる。
 〇七年一月一〇日に中国軍が行った衛星攻撃実験のミサイルは、内陸部の四川省から垂直に打ち上げられた。この種の衛星攻撃ミサイルを阻止しようとすれば、地上・海上からは無理であり、衛星に「宇宙兵器」を搭載するほかない。こうして宇宙の軍事利用は第四段階(宇宙への実戦兵器の配備)に到達する。ここまで来ると、最終の第五段階(宇宙を舞台にした核戦争)を残すだけとなる。
 宇宙基本法のもとでは「専守防衛」という理由を付けさえすれば、宇宙の軍事利用は青天井となろう。いま米軍やイスラエル軍は、宇宙の軍事利用の第二段階技術を使って、自動車で移動中のゲリラリーダーを「自衛」目的で暗殺しつづけているが、わが国でも宇宙の軍事利用が第二段階に入ると、このようなおぞましい光景が生まれてくるだろう。日米の攻撃型戦力は飛躍的に強化されるだろうが、頭上を回る宇宙衛星を呪い、復讐を誓う人々を増やし、軍拡競争の炎が燃えさかることを恐れる。

   

ミサイル防衛は先制攻撃促進装置

 「日本の安全保障に関する宇宙利用を考える会」という組織がある。座長は、現防衛相の石破茂氏だ。この会は〇六年に『わが国の防衛宇宙ビジョン』という報告書を出したが、そこでは、高速で大気圏外を飛ぶ長距離ミサイルに対処するには、地上レーダや航空機では間尺にあわない、発射直後に捕捉し、追尾するには、早期警戒衛星や宇宙追尾監視衛星の導入が必要だと述べていた。このあたりに宇宙基本法制定の重要な背景があることは想像に難くない。
 戦時下では、敵の攻撃から「戦争遂行システム」を守りぬくことが防衛の最重要課題となる。したがってミサイル防衛(MD)の第一の任務とは、日本国民のいのちと暮らしを守ることではなく、米国の握る「制宇宙権」とこれをバックにした新型戦争システムを守ることになるのは当然だ。新型戦争システムは、地球規模で統合され、攻守一体となっている。攻撃戦力と防衛戦力とを兼ね備えた最強の軍艦をイージス艦と呼ぶが、米国がめざしているのは、「戦争のイージス化」なのだ。米国の支配層が「集団的自衛権を容認せよ」と、日本政府に圧力をかけてくるのはそのためである。
 九月一一日事件を契機にして米国の戦略は転換し、必要ならば先制攻撃を行うし、単独行動も辞さないという態勢に変わった。
 私はこの四月にネブラスカ州オマハにある全米戦略司令部を訪問してきた。この司令部のもとに、電撃的な「地球規模攻撃」を担う戦闘司令部と、敵のミサイル攻撃を阻止するミサイル防衛部門司令部とが並存している。 イランの核施設・軍事基地にたいして、米軍が地球規模の電撃作戦を敢行するという観測がくりかえし流れているが、この作戦を立案し、指揮する役割を担っているのが戦略司令部だ。作戦が始まると、米軍はまずイラン軍のミサイル基地を攻撃し、敵のミサイルつぶしに全力をあげるだろう。仮に九〇%の敵ミサイルを破壊できたとしよう。イランは、残る一〇%のミサイルを応射してくるだろう。MD部門司令部の任務というのは、敵の残存ミサイルの応射をシャットアウトし、米軍の先制攻撃を完勝に導くことに置かれている。MDというのは、先制攻撃を促進する装置であり、対抗軍拡を呼びおこすことは避けられない。

   

科学研究が圧迫される

 宇宙基本法では、宇宙の商業的開発利用にむけて、宇宙産業の育成が異常に強調されているが、その反面、宇宙の環境保全や科学探査といった分野への言及が乏しい。「国は、宇宙開発の特性にかんがみ、宇宙開発利用に関する情報の適切な管理のための必要な措置を講ずる」(第二三条)と規定されているので、軍事機密のもとで自由な学問研究が窒息する懸念もある。また宇宙関連の独立行政法人の業務を見直し、宇宙の軍事利用や商業利用を重視する方向に誘導するかの規定もあり、要注意だ(付則第三条)。

   

天空の軍需利権法となる

 宇宙基本法では、宇宙の軍事利用と並んで、宇宙の商業的開発利用の促進が謳われている。ただし宇宙産業というのは原子力産業と似ている。純粋の民間部門とは体質が大きく異なり、国庫に寄生・依存する体質が強く、利権の巣となりやすい特質をもつ。宇宙基本法のしくみが具体化されていくと、日本でも兵器産業と宇宙産業との融合が進み、軍産複合体が暴走する環境が整ってくるであろう。宇宙産業に多額の公的資金が流れると、年金・医療・教育といった分野への財政支出がやせ細っていく結果となる。
 宇宙の軍事利用が進み、宇宙が戦場となれば、大量のデブリ(衛星破片など)が生まれ、宇宙の商業的利用や科学的利用にも支障がでてくるだろう。
 なぜ、日本の自動車産業は大発展したのに、航空宇宙産業が長期の沈滞状況から抜け出せないのか。最大の理由は、日本には自立した航空宇宙産業の発展を許さないという米国政府の冷徹な方針があったからだ。科学実験衛星以外には、事実上米国製を購入することを義務付けた「日米衛星合意」を破棄することなしには、日本の宇宙衛星産業の発展は語れない。

   

市民交流と外交力の重視を

 平和の構築を考えるばあい、災害救援や市民間の助け合い活動の果たす役割は大きい。中国全土の世論調査によると、四川省の大地震に際して、日本が派遣した災害救援隊の活躍ぶりをみて、「日本に対する好感度」がアップした人が七四%に達したといわれる。平和な社会関係をつくるには、宇宙の軍事利用の強化は邪道だ。災害支援のほうが、低コストでありながら、はるかに効果的なのだ。
 いま一つ、外交の果たす役割も強調しておきたい。一九八〇年代後半、欧州市民の多くは米国のレーガン政権の進めるミサイル防衛網の建設に賛同せず、欧州から中距離核ミサイル自体を撤去させる道を選んだ。そしてその結果、米ソ両国にたいして欧州から中距離核戦力(INF)を撤去させることに成功した。この成果が、この地から冷戦構造を消し去り、平和的な経済発展の道を切り開いたのだ。
 ベトナム戦争とイラク戦争の惨禍を体験したアセアン諸国の間でも、同様の動きが生まれている。東南アジアを非核地帯にし、域内紛争の非軍事的解決を義務付けるTAC(東南アジア友好協力)条約をユーラシア大陸全域に広げていこうとする動きだ。今われわれがなすべきは、宇宙の軍事利用の解禁でも、MDに深入りすることでもない。欧州とアセアンの動きから深く学ぶこと。北東アジア地域を非核地帯にすること。相手国に到達する中距離ミサイルの配備を禁止する地域に変えるための外交交渉を強化することだ。宇宙基本法の制定は、このような世界史の大道に逆行するものであり、憂慮にたえない。

   

(『世界』2008年7月号、岩波書店)