映画『華氏911』とアメリカの大統領選挙

藤岡 惇

マイケル・ムーアのこと

 マイケル・ムーアというのは、4年前のアメリカの大統領選挙――ゴア 対 ブッシュの対決となったあの運命的な選挙戦で、第三党(みどりの党)のラルフ・ネーダー陣営の選挙参謀を務めた人である。本来民主党のゴアに来るべき票をネーダーがとったために、ブッシュに大統領の椅子をかすめとらせてしまったという批判の声が、選挙後ムーアに集中した。じっさいフロリダ州ではネーダーは97,488票とったが、そのうち500票だけでもゴアに変わっていれば、ゴアがブッシュを打ち破り、大統領の座を確実にしただろう、というわけである。
 本当に接戦している州については次善の候補たるゴアに左派の票を集中させ、ブッシュには勝たせないという方針を出したのだと、ムーアは弁明にこれ努めたのであるが、彼の身上である歯切れの良さは、ここではもう一つであった。このときの痛恨の思いが、ブッシュの再選だけは阻止したいという思いにつながり、「華氏911」という記録映画を作らせる原動力となったことは間違いない。1)
 この映画のタイトルは、『華氏451』というナチズムの言論弾圧を描いた小説のタイトルをもじったもの。『ファーレンファイト451』というのは、本が燃える温度、焚書の温度のことである。これにたいして、911は自由が燃える温度、真実を追求する権利が燃やされる温度というわけだ。自由に行動する権利が奪われたとき、戦争がやってくる。だから9月11日の事件、あるいは無差別テロを起こさせないためにはどうしたらよいのか、みんなで議論しようとマイケル・ムーアはこの映画で訴えたのである。

   

テロリスト「泳がせ」の疑惑

 フロリダの小学校訪問の時に9月11日のテロ事件の第一報を聞き、その後10分ほども、ブッシュが椅子に腰掛けてポカンとしているシーンが映画では映し出された。読者の皆さんは、このシーンに何か違和感をもたれなかったであろうか。まったく予期せぬ事件が突然おこったばあい、人間というのは「何が起こったか」を知りたくて、もっと情報をあさろうとするものだ。しかしブッシュは、そうせずに深い憂いに沈みこんでいた。
 なぜだろうか。あのような事件がいつの日か起こる可能性が高いことを知っていて、あえて放置し、「泳がせ」ていたからではないだろうか。「あーやっぱり起こったか。とんだことになってしまったナ」という気持ちが、苦渋の顔ににじみ出ていたのではないか。

   

サウジ・コネクション

 ブッシュ一族とビンラディン一族とは長年のビジネス・パートナーであり、背後には石油利権があった。じじつ9月11日事件の当日の朝、ブッシュの父親の元大統領が、投資会社のカーライルグループの会議でラディン一族の有力者と同席していたし、ブッシュ政権は、事件後も在米のラディン一族をかくまい、特別機で国外脱出させた。サウジの駐米大使のバンダル王子は、「バンダル・ブッシュ」とはやされるほどにブッシュ一族と親密な仲であった、等々・・・。これらの事実を米国民はほとんど知らないでいるが、厳然たる事実だ。そうした事実の断片をつなげていけば、ことの本質――中東とカスピ海域の石油資源の争奪戦という実相が絵巻物のように見えてくるわけだから、「目からうろこ」の感覚で、この映画がうけとめられたのは間違いない。

   

テロ絶滅の地球戦争発動の最大の目的は

 9月11日事件が起こって、"オサマ・ビンラディン"あるいは"アルカイダ"という名前が表に出てくるが、ブッシュ陣営にとって、じつは彼らは、それほどメジャーな問題ではなかった。アメリカが世界を帝国的に支配するための急所は、中東の石油、カスピ海低地の天然ガス資源を支配下におくことであり、そちらのほうが、はるかに優先順位が高い戦略的課題だった。アフガン侵攻後の動きをみたばあい、アルカイダを絶滅するというのは、米国の中東支配のプロセスで生まれてきた「鬼子」というか、副作用を抑えるための副次的な課題にすぎず、サダム・フセインをおい落とし、イラクの石油の支配権を握ることこそが、主たる課題であったことをムーアは暴きだしている。
 ソ連を解体後、アメリカは世界で唯一の覇権国となったのであるが、この覇権の力を新世紀になっても可能なかぎり長期にわたって維持していくことが、アメリカの国家目標となった。そのために何が必要か。宇宙と核の覇権を背景にする圧倒的な軍事力を行使することで、知的財産権を独占し、イラクの石油、カスピ海低地の天然ガスの支配権を確立することーーこれが答えであり、湾岸戦争以来13年にわたって追求してきた戦略的課題にほかならなかった。
 ただクリントン時代のイラクに対する作戦計画は具体性に欠け、ある程度は国連に遠慮していた。経済覇権の再建を優先したクリントン政権の軍事的な弱腰を批判して、大統領の座を射止めたブッシュ政権は、軍事面を含めた単独行動主義をとること、敵となるかもしれない勢力にたいしては、全部面で圧倒的な軍事的優位を確立・誇示することで、軍事的に対抗しようとする意志そのものが生まれないところまで追い込むことを新たな国家的目標とした。したがって9月11日事件の直後から、この事件をイラクの政権つぶしという積年の課題解決に利用しようと画策し、フセイン政権つぶしの戦争計画を具体化していくわけである。2)

   

石油がなぜ重要か

 フセインが牛耳っていた石油を米国の支配下におくことができれば、サウジアラビアとは例の「リヤド・ワシントン秘密協定」(米国はサウジ王室をアラブ革命派から軍事的に守る、その代償としてサウジは、石油をドル建てでしか売らないという協定)があるため、サウジの石油はコントロールできるだろう。そうすると中東の石油資源は、アメリカによって完全にコントロールできる。このような体制ができると、21世紀の反米勢力の主軸として浮上する恐れのある中国をはじめとした東アジア諸国のエネルギー源を握ることができ、躍進する東アジアの経済力をアメリカの勢力圏のなかに組み込むことができる。
 ドルを唯一の基軸通貨とすることで世界中に君臨する体制を続けたいというのが、アメリカの支配層の今ひとつの根本的な要求であるが、この願いをくつがえしかねない挑戦相手が現れてきた。欧州が通貨統合をはたし、通貨や金融という分野で欧州連合が浮上してきたのである。石油代金を決済する通貨としてドルかユーロか、どちらを使うのかをめぐって綱引きが行われる時代が始まっていた。2000年秋になるとフセイン政権は、こんごドルではイラクの石油を売らない、ユーロによる支払いを義務付けるという政策転換を行う。イランも同じようなことを検討しだしたし、ラテンアメリカ最大の産油国であるベネズエラにおいてもチャベス政権が登場し、ドル以外の国際通貨による決済を検討し始めたといわれる。9月11日事件の前夜というのは、ちょうどこのような動きが表面化してきた時期だった。ブッシュ政権にとって、フセイン体制をここでつぶしておかないと大変なことになるという深刻な情勢が展開していたのだ。

   

ブッシュは、南北戦争後最初の南部保守派の大統領

 ネオコンの連中は、頭だけで考えるインテリ層であり、大衆動員力をほとんどもたない。
 ブッシュをささえる大衆的な基盤というのは、奴隷制度の歴史をもつ南部地域の経済的保守勢力であり、伝統的なキリスト教原理主義者たちであった。ブッシュは、とくに奴隷制度の伝統が色濃く残るテキサス州の農村部のミッドランドという町で育った人である。南部の経済的・宗教的保守主義を代表するかたちで大統領の座まで登りつめた南北戦争以来最初の南部人だといっても過言ではない(実弟のフロリダ州知事のジェフ・ブッシュも同様)。民衆の低賃金と低い人権の水準を守ることで綿花や石油といった一次産品を供給してきた「資源植民地」型の南部の資本主義化の道(米国の進歩的なエコノミストの言葉を使うと資本主義発展の「低い道」、レーニンの言葉を使えば上からの保守的な「プロシア型の道」)を支えてきた人たち、保守的で原理主義的な南部のキリスト教徒たちが、ブッシュ政権を支える社会的基盤となった。ブッシュ政権の基盤を「身体なきネオコンと頭脳なき南部の原理主義者との同盟」だとマイケル・リンドは形容としているが、言いえて妙であろう。3)

   

大統領選挙のゆくえ

 ブッシュ政権は、「全領域での軍事的圧倒」(フル・スペクトラム・オブ・ドミナンス)を戦略のカギとしてきたが、その伝でいうと、「全領域での深い真実」を明らかにして、それを国民全体に広げられるかどうかが、大統領選挙の帰趨を決めるであろう。アメリカの場合、伝統的に投票に行く人は50%くらいにすぎない。残りの50%は生きていくだけで精一杯で、ふつうは投票には行かない人たちである。もっとも政治意識が高いのは大金持ちの人たちであり、彼らは100%投票に行き、圧倒的に共和党へ票を投じる。他方、いちばん貧しい層では2、3割しか投票場には行かない。したがって彼らが真実に触れて投票に行くようになれば、投票率が10%上がり60%となれば、状況は一変するであろう。  今年の夏にベネズエラのチャベス大統領の信任を問う国民投票が行われた。アメリカ筋の暗躍のためにチャベスが負けると言われていたが、じっさいには投票率が大幅に上がり、本来ならば棄権していた人たちが大挙、チャベス支持の票を入れた。そこで雪崩が発生し、不信任反対が6割という圧倒的な状況になった。
 今度のアメリカの大統領選挙でも、①投票率が60%近くまで上がること、②第3党のネーダー(ネーダーに入れようと思っている進歩派が3-5%はいる)と民主党のケリーとが政策協定を結ぶことができれば、ケリーが圧勝するのは間違いないであろう。フロリダなどの接戦州だけででも政策協定ができれば、勝利の可能性があると考える。

   

ボイコット運動の可能性

 アメリカ大統領は地球全体に大きな影響力を持っているので、世界中の人たちが、大統領選挙に参加していくべきだし、そのための創意的な方法を開発していくべきだと思う。一例をあげると、共和党に献金しているアメリカの代表的な企業をターゲットとして、「ブッシュを支援する企業」にたいするボイコット運動を展開し、「消費選択」というかたちでの「投票行動」をおこそうという運動が世界各地で展開されている。健康問題をからめて、マクドナルドやコカコーラにたいするボイコット、アメリカ産タバコへの非買運動も起きている。石油をドルじゃなくてユーロで買おうという運動、米国の国債を自国の政府に買わせないという運動も含めて、いま起っている運動を統一していくことができれば、相当のアピール力を出すことができよう。ブッシュが勝ったら自分の会社の製品が世界で売れなくなる、連邦国債も暴落するという見通しを見せられれば、アメリカのビジネス・エリートにとっては、たいへんな衝撃となるであろう。損益分岐点という会計指標が示すように、企業の実際の儲けは、売上高の最後の10%がどうなるかによって大きく変わる。しかもデフレの時代というのは、消費者のパワーが増大する時だ。したがって、かりに3%でも売上高に変化を与えることができれば、米国企業には大変な圧力になるであろう。非買運動は非暴力であるので、弾圧することは不可能であろう。かつてマハトマ・ガンジーが主唱し、大英帝国を崩壊に導いたこの非暴力の武器を、「アメリカ帝国」にさしむける時代が始まったのである。

     

1)詳しくはマイケル・ムーア『アホでマヌケなアメリカ白人』柏書房、2002年のエピローグを参照。
2)このあたりの内幕は、『ワシントン・ポスト』紙の敏腕記者のボブ・ウッドワードの力作の『攻撃計画――ブッシュのイラク戦争』(日本経済新聞社、04年)が詳しいので、ぜひ参照を願いたい。
3)詳しくは、マイケル・リンド『アメリカの内戦』アスコム、04年を参照。

   

(『シネフロント』329号、2004年10月)