藤岡 惇
宇宙空間を支配する米国の軍事・諜報覇権のもとで経済のグローバル化が進んでいます。その詳細は、本誌の2000年5月号に掲載された拙稿「アメリカの経済覇権と『情報の傘』」をご覧ください。この経済グローバル化を支える3本柱が、世界貿易機関(WTO)、国際通貨基金、世界銀行です。昨年12月シアトルで開かれたWTO閣僚会議に10万人といわれる各国NGO・市民がおしよせ、エリートだけで進める「上からのグローバル化」政策に激しく抗議しました。その結果、各国代表の利害対立を激化させ、会議を流会に追いこみました。一昨年のMAI(投資の多角的協定)交渉の挫折につぐ、市民運動の勝利です。
そのシアトルの戦いから5カ月、本年4月16日に国際通貨基金の年次総会、翌17日には世界銀行の総会が、ワシントンの本部で開かれました。この機会に両機関の活動に抗議し、その根本的な改革・改変を要求しようーそれが、反グローバリズム市民運動の次の合言葉になりました。
グローバル化に反対する市民運動は、なぜこれほど急速に発展したのでしょうか。その高揚の秘密は何でしょうか。シアトルで一部団体がひきおこした「暴力的騒乱」をどう見たらよいのでしょうか。調査のためワシントンに飛びました。
青年環境団体のA SEED JAPAN http://www.aseed.org/ の著作『グローバル経済への疑問―シアトル 戦いの現場から』の整理によると、シアトルに集まったNGOには、3つの流れがあったといいます。WTO打倒派、凍結・全面見直し派、WTOの枠組みを承認する改良派の3つです。
私も同様に、ワシントンに集まった市民団体には次の3つのグループがあったと考えています。
その第1は、グローバル化を不可避とし、現行の枠組みを受け入れたうえで、若干の部分改良を要求するグループ(「部分改良派」)です。彼らの多くは、街頭のデモには参加していません。労働組合の右派や保守的なNGOがこのグループに入ります。
第2は、第1の対極に位置するグループであり、いわば「資本主義粉砕派」です。黒装束で覆面し、警官隊との暴力衝突に備えて毒ガスマスクを着用した200名ほどを中核とし、「革命的反資本主義グループ」(「黒色陣営」)と自称しています。暴力的アナーキストとマオイストの連合体であり、「資本主義は人殺し」というスローガンを叫びました。一部で駐車中の自動車のガラスを割ったり、ひっくりかえしましたが、非暴力グループの本流からは孤立し、シアトルの時のような策動ができずに終わりました。
第3は、経済民主主義的な改革を非暴力の方法で追求しようとした「民主主義・非暴力グループ」です。中心団体は「50年でもうたくさんー地球的経済正義のための全米ネットワーク」( www.50years.org )です。1994年に結成され、全米の200余りの団体、165の国際組織を結集しています。この組織が軸になって、「地球的正義のための動員」というアドホックな組織を立ち上げました。「動員」が開いた「4月16・17日のために」ホームページ( http://www.a16.org/ )と「動員ラジオ局」が、運動の中枢神経としての役割を見事に果たしました。まさにインターネットの申し子のような運動でしたが、本流を形成するパワーを発揮したのです。
このグループのスローガンは、「正義のグローバル化を」 、「民衆の意志を反映しないグローバル化反対」、「利潤よりも人間優先を」というものでした。
労働組合のナショナルセンターのAFL-CIOは、「民主主義・非暴力グループ」の呼びかけたデモに賛同し、相当数の組合員が参加しました。 「グローバル経済を働く家族に役だつものにせよ」というのが、労働運動のスローガンでした。
以下、「民主主義・非暴力グループ」が大きな影響を発揮しえた理由、およびそのなかで育まれてきた新しい運動文化を紹介しようと思います。
「グローバル化を考える国際フォーラム」(IFG)という組織があります。ディープ・エコロジストのジェリー・マンダーらが1994年にたちあげたNGOで、経済グローバル化と闘うためのシンクタンクの役割をはたしてきました(詳細は、 http://www.ifg.org/ )。私は、IFG主催の第2回ティーチイン(96年5月)に参加して以来、このNGOと密接な連携をとって研究してきました。
ワシントンでの大運動を目前にひかえた4月14日に、IFGは「シアトルを超えてーIMFと世界銀行にみるグローバル化の問題点」という大規模なティーチインをワシントンで開催しました。会場はホワイトハウスの北側のメソディスト教会。4月14日の午前10時から始まった集会は、深夜11時まで13時間も続きました。30人近くの弁士が、グローバル化のもたらす様々な害悪と闘いの経験をこもごもに語ります。聴衆は会場にあふれ、参加者は1000名をこえていました。以下、いくつかの論点を紹介しましょう。
「グローバル化は、軍縮と世界平和をもたらす」というのが、グローバル化を賛美・推進する市場原理主義者の主張です。この主張を論破するため、昨年5月のハーグ世界市民平和会議の場で、「軍縮とグローバリゼーション国際ネットワーク」( www.indg.org )というNGOが結成されました。代表は、カウンシル・オブ・カナディアン出身のスティーブン・ステイプルズです。
市場原理主義者の予想に反してWTO体制のもとでは、軍事技術の支援や軍需産業育成といった政策が、国家間の経済競争戦の雌雄を決するようになっていると、スティーブンは強調します。なぜなら、WTO体制のもとで、政府による保護・育成政策の実施が許されているのは、「兵器の生産・補給」といった国家の安全保障にかかわる分野などに限られているからです(ガット第21条の「国防例外条項」)。したがって、雇用創出・地域開発・ハイテク研究といった分野を政府が支援・育成しようとすると、軍事部門という回路に資金を注入していくことが、もっとも確実な道となるのです。
20世紀は独占資本主義の時代だったとすると、21世紀は、米国による「独占軍国主義の時代」となるのではないかという懸念の声を、くりかえし聞きました。
「宇宙の軍事化・核配備に反対する地球ネットワーク」(詳細は、www.globenet.free-online.co.uk )というNGOがあります。経済のグローバル化が、いかに米国の宇宙支配のもとで、宇宙衛星を駆使した米国の軍事・諜報覇権にもとで、進んでいるかを明らかにしてきた団体です。宇宙衛星を使ったアングロサクソン5カ国諜報機関による世界的な盗聴システムーエシュロン(またはエチェロン)スパイシステムは、いま欧州諸国の憤激の的となっています。英国ヨークシャのメンウイズヒル情報通信基地は、エシュロンの重要拠点となってきたところです。この基地を監視してきた「ウイメンズヒル女性平和キャンプ」の女たち(その詳細は、 http://www.gn.apc.org/ )は、グリーナム・コモンの伝統をひきつぎ、スパイ基地を撤去する決意を表明していました。
IFGに結集する人たちを束ねているのは、経済の論理よりも、環境(自然といのち)の論理、人間発達の論理を優先するエコロジストとしての共通性です。代表のジェリー・マンダー自身がシエラクラブの出身であるほか(ジェリー・マンダーほか編『グローバル経済が世界を破壊する』2000年、朝日新聞社を参照)、「地球の友」系の環境団体が積極的な役割を果たしています。
彼らは、グローバル化への対抗軸を「自然といのちの論理」(バイオ・リージョン)におきます。たとえばカウンシル・オブ・カナディアン代表のモード・バロー女史は、「人間が生みだすもの」(労働の生産物)と「人間を生みだすもの」との区別の必要を力説します。「人間を生みだす」母体としての大地・水・遺伝子資源といったものまで「人間が生み出すもの」と同様なやりかたで私有化され、商品化されたばあい、生物と人間の命の源は涸れていかざるをえないのです。
IFGに結集するもっともパワフルな理論家は、デイビッド・コーテン(人間中心の発展フォーラムhttp://iisd1.iisd.ca/pcdf )でしょう。彼は、IMF・世界銀行が国連システムから分れ、その上に君臨するにいたった経緯をふりかえり、IMF・世界銀行は国連の管轄する一機関に再編されるべきだと力説していました。多国籍企業を規制する機関に生まれ変わるべきだというのです(デイビッド・コーテン『グローバル経済という怪物』1997年、シュプリンガー東京)。東南アジアの代表的理論家のウオルデン・ベロも、IMF・世界銀行の特権的地位を解き、もっと複数主義的な国際社会にしていく必要を強調していました。
2~3万人の参加者のうち、6~7割は、10歳台から20歳台の若者でした。とくにもっとも強く自己犠牲を要求される非暴力直接行動の部分を担ったのは、ほとんどが若者でした。
全米の大学から、正義感が強く問題意識も旺盛な層が、大学を休んで大量に参加してきました。黒人の貧しい層や労働運動からの参加がまだ少ないという弱点はあるものの、「ついに若者が動きだした」という感激が、中高年の活動家を異常に興奮させています。ベトナム反戦や公民権運動の時代のような熱気を感じるのでしょう。世代間の連帯の感覚がもりあがっていました。
1週間前の4月9日に行われた最貧国への債務棒引きを要求するジュビリー2000/米国( www.j2000usa.org )のデモが、プレイベントの役を果たしました。同じく1週間前から「コンバージェンス」(収束)という名の合宿所が市内に開設されました。そこでは*相手に暴力をふるわない、*物も破壊しない、*相手を侮辱しないという3原則にもとづく非暴力直接行動の訓練が毎日行われていました。私が滞在していたアメリカン大学では、非暴力訓練参加のアピールが活発になされており、学生寮には、全米から200名の活動家が泊まりこんでいると聞かされました。 デモ前日の15日の早朝、武器や発火装置が密造されているという疑いで、警官隊がこの合宿所を急襲しますが、危険物を発見できませんでした。
デモに備えて、若者たちは、美しい横断幕やはりぼて作りに熱中していました。衣装に工夫をこらし、ストーリ性がある寸劇を街頭で上演する準備にもおおわらわです。マスコミや通行人がつい注目してしまうような、真実性と芸術性、倫理性ゆたかなデモが組織できるかどうかが、非暴力直接行動の成否を決めると考えられているからです。そして実際に、当日は、芸術的鑑賞にたえうる質の高いパーフォマンスが各所で展開され、市民社会との共感のコミュニケーションを強めていったのです。
なおデモ隊のターゲットになる国際通貨基金と世界銀行の本部ビルは隣どうしであり、ホワイトハウスの西300メートルほどのところにあります。これら政府中枢部一帯(東西2キロ、南北1キロほどの)を前日から警察は、立ち入り禁止地帯にしていました。4月15日の午後には、無許可行進を理由に、平和的なデモ隊を警官隊が襲い、600人余りを逮捕するというハプニングも生じました。
とうとう国際通貨基金(IMF)の年次総会が本部ビルで開かれる4月16日が来ました。この日は早朝から雨。明け方から、非暴力訓練をうけてきた青年グループが、数十人ずつの小グループに分かれて立ち入り禁止地帯にできるだけ深く浸透し、可能な限りIMFビルに近い交差点に座りこむ戦術がとられました。こうして朝7時までに、15の交差点が互いの腕と足とを鎖でつなぎあわせた若者によって占拠されました。なかでもIMFビルにもっとも近い3カ所の交差点を占拠したグループは、チェーンとパイプでできた特別の施錠装置をつかって自らの体を大地に固定しました。
警官隊は彼らを排除できないため、警備ラインを後退させました。立ち入り禁止地域は、当初の1/4の面積に縮小しました。逮捕を覚悟した数百名の非暴力直接行動によって、2~3万人を数えた一般のデモ隊はIMFビルに近づき、自らの声を届けることができるようになったのです。自らの体を大地に縛りつけた26歳の女性は次のように語っています。「私の体は、いまや地球上の民主主義・人権・正義としっかりと結びつけられ、何ともいえない安らぎを感じています」と。ヒマラヤ山麓の貧しい女性たちがみずからの体を樹木に縛りつけて森林伐採に抵抗したあのティプコ運動の精神が、彼女の心に蘇ったわけです。
IMFの各国代表団の多くは、早朝6時までにビルに入っていましたが、フランス・ブラジル・タイの代表団は抗議グループに阻止されて、会場入りが大幅に遅れました。この日は終日、さまざまな抗議クループが、自己の主張を述べながら、平和的に会場周辺をねり歩き、連帯と友愛感情の高揚するお祭りのような陽気さが一帯を支配しました。この日は逮捕者はほとんど出なかったのです。
月曜日からIMFと世界銀行の合同会議が始まりました。ホワイトハウス前の広場に集まった2000名ほどの非暴力活動家は、午前9時50分からデモ行進を始めました。彼らは、逮捕志願組とそうでないグループに自発的に別れていました。
10時52分に、世界銀行ビルにもっとも近い地点にある警官隊のバリケード線に到着し、緊張した対峙が始まりました。デモ隊のリーダーは警察局長と3時間にわたって交渉を続け、その結果、警察側はバリケードに入り口をあけ、5人一組でデモ隊の入場を許し、その直後に逮捕するという妥協が成立しました。警察局長のラムゼイは、デモ隊側の要請をうけて、警官隊に鎮圧用のガスマスクをとりはずさせました。デモ隊の女性の捧げた一輪の赤いバラをラムゼイ局長は、安堵と苦笑の交じった複雑な表情でうけとるシーンが「非暴力のバラ」として広く報道されました。
ついで、5人一組になって、バリケート線を越える行動が始まりました。核兵器工場のゲート前などでよく行われる「儀式」です。こうして120組600人が整然と逮捕されることで、市民的不服従の自己犠牲の姿を世界中に知らせたわけです。
「地球的正義のための動員」は、4月17日「われわれは、所定の成果を勝ちえた」という誇りにみちた勝利宣言を行いました。たしかにシアトル以来5カ月という短期間で、3万人近い参加者を集めることができたのは特筆すべき成果でしょう。
ワシントンでは、非暴力直接活動・市民的不服従の威力が、まざまざと示されました。この種の運動には、暴力的運動よりはるかに大きな勇気と忍耐力を必要とします。この自己犠牲の迫力が、警官隊と「黒色ブロック」の暴力的呼応関係を封じこめたのです。このようなスタイルの運動は、1960年代の日本の学生運動にはほとんどなかったものであり、新鮮でした。
この運動をつうじて、世界の市民は、経済グローバル化のもたらす害悪面に、気づくようになりました。また、現在進んでいる米国主導の宇宙からのグローバル化の道が、不可避的な道でも唯一の道でもないこと、「自然といのちの循環の論理」にもとづくもう一つの道があることに、多くの市民が気づいていく機会となったと思われます。
エコロジストとエコノミストの協同が、反グローバリズムの市民運動の強みです。理論的に表現すると、科学的社会主義とガンジー(ないしシューマッハー)主義との重ね合わせとでもいえましょうか。これが何を意味するかは、こんごの探求の課題としたいと思います。