ポルトアレグレはダボスを変えつつある
     ―第5回世界社会フォーラムに参加して

藤岡 惇

1.「世界社会フォーラム」とは

 

世界の社会運動の聖地――「歓喜の港」に向かう

 毎年一月下旬になるとスイスの景勝地のダボスで、世界のエリートを招いて「世界経済フォーラム」(ダボス会議)が開かれてきたが、このイベントに対抗して、二〇〇一年以来、同時期に「世界社会フォーラム」(WSF)が開かれるようになった。筆者は、昨年一月にインドのムンバイで開かれた第四回目のWSF(世界社会フォーラム)に参加して、新鮮な感動をもらったことがある。1) 第五回目のWSFは、一-三回の開催地であったブラジル南東部のポルトアレグレに戻って、ことしの一月二五日から三一日まで開催された。ポルトアレグレ(「歓喜の港」という意味)は、日本から見るとちょうど地球の反対側に位置し、夏の盛り。サンパウロ経由で二六時間の飛行機の旅であった。
 私は「アタック・ジャパン」二〇名の旅行団の一員として参加した。「アタック」とは、マネーの投機的な国際移動を規制するため為替取引への課税を要求しているNGOで、世界社会フォーラムの開催を最初によびかけた団体の一つだ。2) ①「アタック京都」の若者たちが中心になって昨年一二月に日本最初の社会フォーラム ―「京都社会フォーラム」を開いたのであるが、その成果(詳しくは、http://kattac.talktank.net/ )を伝え、交流すること、②私が関わってきた「宇宙への兵器と原子力の配備に反対する地球ネット」を代表して、反戦平和系のNGOと交流すること、――この二つの任務をおびて、私は、WSFに参加してきたのである。
 以下、一年前のムンバイ体験と比較しながら、個人的な印象を綴ってみたい。

 

犯罪と暴力

 昨年のWSFで、ムンバイに行ったときのこと。フォーラム会場からホテルに戻ろうとする夕刻に、満員の通勤電車から下車する瞬間を狙われて、尻ポケットの財布をすられる経験をした。
 今回は、ポルトアレグレに向かう途中で、一人でサンパウロに一泊した。南米に足を踏み入れた最初の日の夕刻、買い物客で雑踏するサンパウロの歩道を歩いていたところ、突然、何者かが背後から襲ってきた。私の尻ポケットがこじあけられ、財布をもっていかれたのである。そのショックで、私は歩道のうえでぐるりと一回転し、ひざをすりむいてしまった。立ち上がってみると、犯人らしき人はもはや消えていた。あまりの「見事さ」に声もでないし、周囲の群集(なかに犯人とその仲間が隠れていたのかもしれない)は「厄介なことに関わりたくない」という風に、冷たい視線を私に投げかけるばかり。だれも助けてくれなかった。
 ほうほうの体でホテルにもどり、念のためにカード会社に電話したところ、すでに犯人は私のクレディトカードを用いて現金を引き出しているという。そのため近くの警察署に出向いて「犯罪証明書」を書いてもらうことが必要となった。しかし「謝礼金」の支払いを約束しないかぎり、警察官はまともに応対してくれなかった(ムンバイの鉄道警察では無料で書いてくれたというのに)。こうして思いがけずに二年連続で、「南北間の所得の再分配」に個人的に貢献したわけであるが、「先進国の金持ち」から金をむしりとろうとする点で強盗犯と末端の警察官の利害は一致しているようにみえた。両者は結局、「同じ穴のむじな」ではないのかという思いが、私のブラジル社会への不信を深いものにした。
 しかし、ポルトアレグレに足をふみいれると、そこには別の社会――人間への不信感を溶かしていく協同と祝祭の空間があった。

 

ポルトアレグレのユニークさ

 この街は人口百四〇万人で、ブラジル最南端の南リオグランデ州の州都がおかれている。ブラジルの国政は、二〇世紀に入っても、北部や中部で砂糖や綿・コーヒーを栽培してきた旧奴隷主(プランター)階級の末裔たちが牛耳ってきたのであるが、最南部のこのあたりは、ドイツなどからやってきた欧州系移民が多く、独立自営農民と「ガウーショ」(牧場主)を主体とする独特の近代化の道を歩んできた地域だ。この州の知事であったジェトゥーリオ・ヴァルガスは、一九三〇年一一月にブラジル全土を掌握して革命政権を樹立し、プランター利害に抗して革新的な労働立法を制定した歴史がある。3)
 市の北側にはさまざまな工場が立地しており、ルラの率いる労働党や旧共産党(社会主義人民党)など、左翼勢力の強い地域としても知られている。昨年一〇月の地方選挙で、一九八八年以来の労働党の長期政権が破れ、旧共産党を軸とした左翼―中道連合の市政に変わったが、新市政もWSFの開催を全面的に支援した。
 この街をグアイバ河とその入り江がとりかこんでいる。河の水質は、ムンバイと比べるとはるかに良い。観光船に乗って工場地帯ぞいに北上してみたのだが、河の中洲には別荘やリゾート施設が点在し、水鳥や魚も多い。健康な自然―人間関係を育む都市基盤づくりが、市民の郷土愛の心を養い、健康な社会関係の土台となっていると実感した。

 

開会日のデモ

 ポルトアレグレ一番の繁華街は、公衆市場の周辺だ。一月二六日の午後六時ころから、公衆市場前広場から開会式の会場にむかう華やかなデモが始まった。WSFは、政党や軍事組織が組織としてエントリーすることを認めていないのだが、デモの場となると自然と政党単位の隊列が形成されてしまうのが面白いところ。地元の新聞によるとデモ参加者は20万人にのぼった。
 夕日が沈む8時すぎから開会式が始まった。まずスマトラ沖津波で亡くなった犠牲者を追悼して1分間の黙祷をした。ムンバイとは異なり、その後の演説はなし。さまざまなバンドが出演する文化行事が深夜まで続いた。

 

会場内の一等地に世界青年キャンプ場

 会場は、グアイバ河の入り江にそって弓状に広がっており、端から端まで歩くと1時間近くかかる。その広大な会場の中心部に「世界青年キャンプ」が開設された。ムンバイのときも世界青年キャンプが開設されたが、会場から遠く離れていたためにインパクトが弱かった。しかし今回は違った。キャンプ内にはテント村が続き、食堂・屋台・日用品・みやげ物を売る店などが立ち並び、一般参加者も自由に入ってくる。キャンプの「住民」として登録されたのは、二・九万人(うちブラジル各地から二・五万人、アルゼンチン・カナダからは六〇〇名を越えた)であったが、じっさいには三九カ国から来た三・五万人が、キャンプで共同生活を送ったという。彼らの多くは徹夜で議論したり、踊ったり。太陽が高く昇る頃に、のっそりと起き上がり、11のテーマ別地区(大学でいうと「学部」のようなもの)内のお目当ての「教室」に向かう。彼らが持ち込んだ若者文化とグアイバ河の野生湿原に没する夕日の美しさが、会場にしなやかな生命力を与えてくれた。4)

 

スーザン・ジョージの慧眼

 いま社会フォーラム運動でもっとも影響力ある理論家といえば、アタックの副会長でトランスナショナル研究所(オランダ)の副所長でもあるスーザン・ジョージであろう。彼女は、新著『オルター・グローバリゼーション宣言』(杉村昌昭ほか訳、作品社、〇四年)のなかで、①もし研究者と実践家の協同の力で真実全体の把握に近づけるならば・・・②もしレッド(赤)とグリーン(緑)の連携が進むならば・・・③もし仲間割れせずに非暴力の闘いを完遂するならば・・・④もし資本主義モデルをめぐる「内戦」で、欧州モデル派が勝利するならば・・・――そのときには「もう一つの世界は可能」となると論じている(彼女の論証のしかたはもう少し複雑だが、要約すると上の四条件となる)。
 今回の旅行を通じて、事態は彼女の予見どおりに進んでいると感じた。以下、その根拠を四点に分けて説明していこう。5)

   

2.もし協同の力で真実全体の把握に近づけるならば・・・

WSFは民衆の自由大学

 WSFとは何か。簡単にいうと、活動家・運動団体と研究者とが協力しあって作り出した実践と理論の出会いの場であり、市民のための自由な学びと交流の場であり、世界規模に広がりだした「民衆の自由大学」の運動だといってよい。会場には二〇人用から四〇〇人用までの大小さまざまな「テント教室」が一〇〇近く建てられ、会期中に大小五七〇のセミナーが開かれた。
 一時間目(朝八時三〇分~一一時三〇分)、二時間目(一二時~一五時)、三時間目(一五時三〇分~一八時三〇分)、四時間目(一九時~二一時)という四つの時間帯に分かれて、セミナーは同時進行する。ただし朝寝坊の参加者が多いので、一時間目は九時すぎから始まることが多く、四時間目は各セミナーを主宰するリーダーたちが集り、戦略的な議論をすることが多かった。
 各セミナーの概要(テーマ・主催者・時間・会場)を記した電話帳のような『セミナー案内』は、ムンバイのばあいは一冊でおさまっていたが、今回はボリュームが膨れたためか、前半三日間を収録した「前半編」、後半三日間を収録した「後半編」、「文化行事編」の三分冊に分かれて発行された。

11の「学部」に分かれて

 この『セミナー案内』を携えて、数万人もの「学生」が、三〇分間の休憩のあいだに、つぎの教室に駆け込むわけだ。移動時間を短くするために、大学のばあいはキャンパスを専門学部ごとに分割して、同じ学部の授業は近くの教室で受講できるようにしている。これと同様に、会場はテーマ別に一一の地区に分けられ、類似テーマのセミナーは同一地区で開けるように工夫された。一一の地区のテーマは、つぎのとおり。

 

A地区―自主的な思考・知識・技術を交流し共有していくための空間(大学でいうと、さしづめ工学部か)
B地区―多様性・複数主義・アイデンティティを考える空間(さしづめ人文学部か)
C地区―芸術創造の空間(民衆の抵抗文化を紡ぎだし、織りあげていく)(芸術学部?)
D地区―コミュニケーションの空間(ヘゲモニーに対抗するコミュニケーションのありかたを探る)(コミュニケーション学部)
E地区―地球と民衆の共有資産を育むための空間(商品化の動きや超国家的な管理に対抗するための代案を探る)(エコロジー学部)
F地区―社会的抵抗と民主的代案を探る空間(新自由主義的支配とどう戦うか)(代替政策学部)
G地区―平和と脱軍事化のための空間(戦争・自由貿易・累積債務にたいしてどう戦うか)(平和学部)
H地区―民主的な国際秩序と連帯のありかたを考える空間(国際関係学部)
I地区―民衆による民衆のための「主権ある経済」づくりの空間(新自由主義型の資本主義に抗して)(政治経済学部)
J地区―民衆の人権と尊厳を守るための空間(公正でもっと平等な世界を創る)(人権学部)
K地区―倫理・宇宙観とスピリチュアリティのための空間(新たな世界づくりのための抵抗と挑戦)(倫理学部)

 学位も単位も得られないのに、手弁当でこんなに多くの人びとがやって来て、嬉々として学んでいる。「人間というのは、学ぶことの大好きな動物なのだ」ということに気づくだけでも元気が出てくる。

 

「もう一つの世界を創るための提案」の壁画

 各地区(学部)の掲げるテーマを眺めていると、WSF参加者の関心がどこにあるかが分かる。そこでハタと気がついた。立命館大学の私のゼミのテーマは「平和なエコエコノミーの創造――持続可能な共生社会を求めて」であるが、「なんだ、WSFのテーマと同じではないか」ということに。ただし一つだけ違いがある。私のゼミのばあい二五名にすぎないが、WSFのばあいは一五万人に達する。両者の規模の違いは、あまりに大きい。
 十五万人が参画する共同研究をどのように組織したらよいのか。各セミナーの主宰者は、セミナーの最後に「もう一つの世界を創るための行動計画の提案」を作成するように組織委員会から要請されていた。おかげでセミナーごとに、さまざまな共同行動案が練り上げられ、会場中心部に設置された壁画コーナーに張り出されていった。これまでに三五二の提案が提出されたという。これら提案は分類され関連付けられたうえで、WSFのホームページ上で公表されていくという。さすがに住民参画型の成人教育運動の祖たるパウロ・フレイレを生んだ国だけあると感心した。

 

水の民営化・市場化にどう対抗するか

 WSFでの毎年の議論を着実に積み上げ、成果を生みだした事例も多い。一例として「水の民営化にどう対抗するか」というセミナーのばあいを紹介しよう。
 岸本聡子さんといえば、気候温暖化防止条約の第三回締結国会議の際に、エイ・シード・ジャパン事務局長として青年のエネルギーの結集に貢献し、京都議定書誕生を促進する役割をはたした人。現在はオランダのトランスナショナル研究所に属し、オリビエ・ホードマンさん(欧州企業観測所)とともに、「水の正義」プロジェクトをたちあげている。〇三年の京都(第三回世界水フォーラム)、〇四年のムンバイと着実にNGOのネットワークを広げてきた成果として、水管理の民営化ではなく民主化(コミュニティ自治)こそが望ましいと説く報告書を完成させた。『公共の水を取り戻す-世界の事例から成果・闘争・展望を探る』がそれである。6)
 ポルトアレグレ市の水管理の実績が、報告書の論旨を支えていた。住民参画型予算を推進する民主化モデルのほうが、良質の水を公正に、かつ効率的・安定的に提供できると同市の水道局スタッフが報告していたが、このような実績の積み重ねが新自由主義的政策を打ち破っていく原動力となったのであろう。

 

関心を呼んだ提案から

 会場を歩いていると、斬新な問題提起に出会い、刺激をうける。たとえば「国民経済をつくろう」ではなく、「主権ある経済」(ソブリン・エコノミー)をつくろうという主張は、アウタルキー(封鎖的な自給圏)経済との違いを明確にしていて、新鮮だったし、「国連決議を守らないイスラエルに経済制裁を」という主張も興味深かった。
 H地区では、国連をどう改革すべきかが、議論の焦点となった。「人間の安全保障と開発にかんする理事会」を創設せよ。世界銀行やIMF、WTOを一国一票の組織に改革して、国連の監督下におくこと。安全保障理事会については理事国を増やし、拒否権をなくす。国連総会と並行して世界市民総会を開く。国連本部を米国外のできるだけ赤道に近い国に移すべきだといった議論が交わされていた。

   

3.もし赤と緑の連携が進むならば・・・

 自然の生物界は三〇〇万年前に人間社会を生み出した。人間社会は一万年前に国家(政治)を生み出し、暴走する国家の制御が人類の課題となる時代が始まった。五百年ほど前に人間社会からの第二の大分裂が発生し、「モノづくりと流通」(経済の領域)が分離独立した。国家に加えて経済(市場)も、「母なる社会」から離れて暴走する時代が始まり、社会は、日のあたらぬ「影の仕事」の場に格下げされ、変質させられた。
 自然界の掟(自然法)をバックにして、母なる社会が、国家と経済の暴走をいかにチェックし、社会(と自然)のなかに再吸収していったらよいのか。これが第三のミレニアムを迎えた人類最大の課題となった。7) 大本に立ち返り、このようなテーマを自然―人間中心の視点にたって議論できるのがWSFの強みだ。エリート中心、市場と資本主義中心の視点に拘束されてしまいがちな世界経済フォーラムの議論の狭さ・浅さを乗り越えていける根拠がここにあり、社会主義者(赤)とエコロジスト(緑)の協同は歴史の必然となる。
 WSFの非公式新聞のタイトル―『いのちの大地、万歳』にはこの哲学が反映しているし、WSFに結集する多様な政治的潮流の接着剤の役割をはたしてきたのが「世界自然保護基金」、「地球の友」といったエコロジスト団体だ。会場内には藁たばと木材を用いて建てられた新機軸の「エコ教室」が目に付いた。
 会場内で通用する数少ない日本語は、ツナミ・ヒロシマ、それにキョウトだった。キョウトとは、気候変動枠組み条約の「キョウト議定書」の略称。おかげで「キョウト(議定書誕生の地)から来ました」と胸をはることができた。
 真実の把握にむけた研究者と実践家の協同のパワーが、WSFの生命力の一つの秘密だとすれば、もう一つの生命力というのは、社会主義者(修正資本主義者を含む)とエコロジスト(ナチュラリスト)との交流と融合のパワーであった。

   

4.もし仲間割れせずに非暴力の闘いを完遂できるならば・・・

極左的な潮流の主張

 WSFは、非暴力主義の立場に立つ社会諸団体の集うフォーラムであり、「民衆の命を人質にとるような組織」や「武装組織」の参加は認めていない。しかし運動が盛り上がってくると、暴力的な破壊活動を辞さない「ブラック・ブロック」(黒装束のアナーキスト集団)が入り込んできたり、「WSFは帝国主義の送り込んだ『トロイの木馬』だ」という批判が飛び出したり、「ムンバイ・レジスタンス」という対抗イベントをぶつけてくるといった極左的な動きが現れたりする。8)
 ポルトアレグレ空港のタクシー乗り場で、有力NGOの「フォーカス・オン・ザ・グローバルサウス」を作り上げてきたウォルデン・ベロー教授(フィリッピン大学)と出会った。再会を喜びあったが、彼には、いつもの精彩がなかった。その後、フィリピン共産党国際局=新人民軍が公表している「帝国主義の手先リスト」に彼が入っていることを知った。このような暗殺予告行為を非難する署名運動が大会参加者の間で行われた。
 今回のWSFで極左的な潮流は、ほぼ共通して、つぎのような主張を行った。①「資本主義を人間化できる」といった考えは幻想であり、資本主義の打倒にとりくむべきだ、②イラク・パレスチナにおいては自爆攻撃を含む武装抵抗を支援すべきだ、③ブラジルのルラ政権は、IMFや国際金融資本に妥協して公約を守っていないので支持してはならない、というものであった。このような主張の是非をめぐって、さまざまな議論が行われた。

 

極左的傾向へのチャベスの警告

 今回のWSFには、「貧困と闘う地球的行動の呼びかけ」(G-CAP、Global Campaign Against Poverty)というNGOのネットワーク組織の招きで、二七日にブラジルのルラ大統領、二九日にベネズエラのウーゴ・チャベス大統領がやってきて、一万人余の聴衆を前に演説した。ルラは、社会フォーラムで議論されている貧困と闘うための方策の提案をダボスの世界経済フォーラムに持ち込むことを約束したが、「土地なき労働者運動」や一部の急進的潮流が激しいブーイングを浴びせる一幕があった。
 他方、満場の歓声で熱狂的に迎えられチャベスは、「南北間の資源の再配分をめざせ」と火を吐くような演説をして、喝采をあびた。同時にチャベスは、政治の本質とは力関係にもとづく妥協にあることに注意を促し、ルラを一面的に非難することは間違っていると述べて、極左的な傾向を抑えようと努力していた。

 

極左的傾向を克服するにはどうしたらよいか

 非暴力主義には、二つのタイプがある。「弱者(臆病者)の非暴力」と「勇者(強者)の非暴力」である。9)「弱者の非暴力」は臆病者による現状追随にすぎず、現状を変革する力に乏しいので、この域に留まっている限りは、現状変革を望む勇気ある若者たちを暴力主義の道に誘うだけであろう。「勇者の非暴力」の闘いをじっさいに展開し、この種の闘いの方が目的を達成する上で暴力的手段に訴えるよりも効果的であることを実例の力で示していく以外には、暴力主義的傾向を克服することはできないであろう。「勇者の非暴力」の闘いとは、①相手の暴力的弾圧を誘発しにくい分野――たとえば経済・社会・文化の分野での非暴力の戦いを重視することであり、②仮に相手が暴力的な弾圧をしかけてきたときも、相手を傷つけず、相手に敬意を払い、相手と傍観者の良心に訴えかけようとする。
 反戦平和をテーマとしたG地区では、「勇者の非暴力」の闘いの積極的な経験がこもごもに語られた。沖縄からの報告は圧巻であった。二〇〇四年四月から、沖縄の辺野古地区の沖合いで米軍の海上基地建設のための工事が始まった。工事を阻止するために、非暴力の座り込みをしている九二歳のおばあさんは、「心に海が染(す)めり」と述べ、言葉を続けた。「この海の恵みで子どもたちを育ててきました。宝の海を子孫に手渡すことが私たちの務めです。皆さんの力を貸してください」と。非暴力直接行動という方法で工事の開始を三〇〇日以上も阻止しつづけているという報告は、成田空港の建設に反対した三里塚闘争を知る者にとっては、時代差を実感できて感動的であった。
 このセミナーを母体にして、「米軍基地撤去の地球的ネットワーク」が創られた。私は、米軍の戦力再編は三次元で捉えるべきであり、宇宙における軍事基地建設の野望に注目を払ってほしいという意見を述べた。10)

 

不買運動の呼びかけ

 「勇者の非暴力行動」にとって、経済・社会の領域に広大な課題が広がっている。その第一は、現下の世界的な貧困の広がりと闘い、どう貧困問題を解決していくかという課題であり、この点では「貧困と闘う地球的行動の呼びかけ」(G-CAP)が、今回のWSFの最大のハイライトであった(詳細は次節で述べる)。いま一つは、消費者の購買行動をとおして、米国のイラク戦争に反対していこうという経済ボイコット運動の呼びかけである。
 ブッシュ政権をささえる米国企業の製品ボイコットを呼びかける「ボイコット・ブッシュ」というNGOの主催したセミナーには、二〇〇名以上が集った。基調報告にたったポル・デュイヴェタはこう語った。米国の市場調査会社のGMIが、昨年末に八カ国の八千人におこなった調査によると、欧州とカナダの回答者のうち二〇%が、米国の政策に抗議するために、米国製品の購入を意識的に避けていると回答した。すでにこの運動は、消費者行動に影響を与え始めていると。この集会で私は、かつてマハトマ・ガンジーの提唱した「英国製品のボイコット」という非暴力の闘いが、いかにインド独立に貢献し、大英帝国の解体をもたらすうえで効果的であったかをふり返る報告をした。そのうえ、①昨年のWSFムンバイ大会の開会式でアルンダッティ・ロイが述べていたように、武装闘争の評価で意見が分かれたとしても、穏健派も急進派も共同してとりくめる課題であること、②今回の運動は、消費者パワーが高まるデフレの時期に展開できること、③民族資本家の支持を得られやすいこと、④巨大資本ほど損益分岐点が高くなる傾向があり、数%でも売り上げを減少させられれば企業利潤は激減することを説明し、この運動を米国国債のボイコットや石油をドル以外の通貨で買う運動に発展させていけば、「アメリカ帝国」は瓦解していくだろうと述べた。
 一部の挑発的な分子は別として、非暴力主義にたつ穏健派と一定の条件下では武装闘争もやむなしとする急進派との間の分裂を防ぎ、両派を最大限統一していくためには、どうしたらよいのか。両派の間のにかわ役を務めるのは、おそらくエコロジスト運動と「勇者の非暴力運動」の流れであろう。この部分が、どれほど活発に運動を展開し、説得的な成果をあげるか、とりわけ経済面での闘いがどの程度のパワーを発揮するかにかかっている。その意味でも、G-CAPの運動と経済ボイコット運動の行方を注目していきたい。

   

5.もし欧州モデル派が勝利するならば・・・

 「進行中の資本主義モデルをめぐる『内戦』で、もし欧州モデル派が勝利したならば」という条件は、「もう一つの世界が可能か」どうかをうらなう最後の条件として、スーザン・ジョージが重視したものである。この点にかんしても、いま興味深い情勢が展開中だ。民衆のたたかいに押されて、ブッシュの新帝国主義の道とは異なる道を欧州諸国が提起し、非同盟諸国がこれを支持するという構図が明瞭になってきたからである。

ミレニアム開発目標の約束

 二〇〇〇年九月にニューヨークの国連本部で開かれた「ミレニアム・サミット」で、一八九の加盟国は、二〇一五年までに次の八目標を達成することを国連の課題とすることで合意した。この達成目標のことをミレニアム開発目標(MDGs)と呼ぶ。MDGsの(1)は、「極度の貧困と飢餓の撲滅」であって、1日1ドル未満で生活する人口比率の半減、飢餓に苦しむ人口比の半減を目指す。(2)は「普遍的初等教育の達成」(3)ジェンダーの平等の推進と女性の地位向上、(4)幼児死亡率の削減、(5)妊産婦の健康の改善、(6)HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延防止、(7)環境の持続可能性の確保、(8)開発のためのグローバル・パートナーシップの推進、と続いている。しかしその後は、米国などが協力しないために、たなざらしにされてきた。

 

昨年9月の「飢餓と貧困を考える世界サミット」

 この事態をうけて、ルラ大統領は、昨年の九月二〇日にニューヨークで、「飢餓と貧困を考える世界サミット」を開催しようと各国首脳に呼びかけた。その背景には、南北間の格差がむしろ拡大しており、このままでは憎悪と戦争の悪循環に拍車をかける結果となること、MDGsの達成には、市場経済に任すのではなくそれ相応の手段の開発が必要であるという問題意識があった。この緊急サミットには、一一〇カ国が代表(うち五〇カ国が元首)を派遣した。
 ルラ大統領と連携しつつ、このサミットを実現させたもう一人の立役者が、フランスの保守的政治家のシラク大統領であった。シラクは、これより先の〇三年一一月に「ランダウ・グループ」をつくり、南北間の富の再配分のしくみを研究させていた。この成果をまとめたランダウ報告書は、富の再配分のしくみとして国際環境税・為替取引税・武器取引税の導入などを列挙していた。〇四年一月になると、四カ国グループ(ブラジル・チリ・スペイン・フランス)の専門家会議が創設され、いっそう具体的な検討に入った。その成果が『革新的な金融メカニズムについての専門家会議の報告書』であり、サミットの検討資料として配布された。この報告書には、「為替取引税」および「武器取引税」の導入の検討などが盛り込まれている。11) とくに為替取引税(最初に提唱したノーベル賞を受賞したケインズ経済学者のジェームズ・トービンの名前を冠して「トービン税」ともいう)のばあい、為替取引に0.1%というごく低率の取引税を課しただけでも、年間に3000億ドル以上の巨額の税収が得られる。サミットでは、「為替取引税、武器取引税の導入の検討」を含むこの提案は、技術的に可能だし、政治的に望ましいとする「ニューヨーク宣言」を、英国を含む圧倒的多数の参加国の賛成で採択した。英国のブレア政権は、ブラウン財務相をリーダーとする左派の圧力に直面して、貧困克服とアフリカ救済の面では左旋回しつつあり、欧州と非同盟国側に接近する動きを強めている。地球温暖化問題だけでなく南北問題への取り組みの点でも、ブッシュ政権は「裸の王様」になりつつある。

 

ダボス会議に乗り込んだルラとシラク

 ルラ大統領は、世界社会フォーラムに参加した足で世界経済フォーラム(ダボス会議)に乗り込み、ポルトアレグレの声を「ダボス・マン」(世界資本主義のリーダーたち)に伝える役割をはたし、大きな反響をよんだ。フランスのシラク大統領もまた、ダボス会議でビデオ演説を行い、「貧困国を支援するための国際連帯課税」の導入を呼びかけた。シラクは、途上国へのエイズ対策の支援額を現在の年六〇億ドルから百億ドルに増額する必要があると指摘し、その財源として、国際為替取引税(いわゆるトービン税)の導入の検討を呼びかけ、「一日に三兆ドルに達するといわれる国際金融取引の一部に0.0一%を課税するだけで、年間一〇〇億ドルを集めることができる」と述べた。12) そのほかにも、「航空・海運燃料への課税」、あるいは年販売枚数が三〇億枚に達している航空券に一ドルの税を課す制度などの検討を呼びかけた。京都議定書の発効をうけて「ファクター四クラブ」のアイデア(労働の生産性を上げるのではなく、資源とエネルギーの生産性を四倍に引き上げよう)をダボス・マンに売り込む活動も始めた。
 このようにアタックなどのNGOがポルトアレグレで主張していたアイデアが、ブラジルとフランスの政府首脳の口をとおして、ダボス・マンに伝えられ、ダボス会議の議論に深刻な影響を与え始めたのである。

 

「ミレニアム+5」サミットを展望した運動を

 国連は、今年の九月一四日から三日間、全加盟国の首脳が参加するサミットを開催する。ミレニアム・サミット以後五年間の進展状況を検討するために開かれるので、「ミレニアム+5サミット」とも呼ばれる。13) このような情勢をふまえて今回のWSFでは、「貧困と闘う地球的行動の呼びかけ」(G-CAP)というNGOが中心となって、今年を「貧困とたたかう地球規模のとりくみ」の年にしようという呼びかけが行われた。14) 中心メンバーの若者たちは、白いはちまきをしめ、白装束で飛び回っていた。これをうけて多くのセミナーでは、ダボス・マンの分裂を促進していくために何をなすべきかが議論され、さまざまな行動計画が練られた。
 来年度は、五大陸別に分散する形で地域フォーラムを開く。そして再来年には、アフリカに会場を移して、第6回のWSFを開くことも決まった。まさに今日の暴力と戦争の根源にある絶望的貧困と不正義に由来する問題の噴出している矛盾の大陸――アフリカで行われることに、人類の叡智を感じる。
 一九三〇年代に、民衆運動の圧力をうけて、世界資本主義が二つの陣営ーーファシズム陣営と反ファシズム陣営に分裂したことがある。今日進行しているのは同様の事態ではないだろうか。現在の闘いの課題は、資本主義を選ぶか共産主義を選ぶかの選択を迫るものではなく、資本主義を前提にして、どのようなタイプの資本主義・市場経済を選ぶのかをめぐる闘いとなっている。人類の生き残りの要求が、テロリズムの根源となっている貧困の克服と経済民主主義の課題を前面に押し出しており、それゆえに非暴力にもとづく社会変革の運動に新しい可能性の世界を開いているのではないかという感想を抱いて帰国した。15)

 

1)藤岡 惇「ムンバイで元気をもらった」『経済』〇四年五月号を参照。
2)春日 匠さんによれば、アタック創立者のベルナール・カッセンと南リオグランデ州知事(労働党)との親密な関係が、WSFのポルトアレグレへの誘致に大きな役割をはたしたといわれる。また『月刊オルタ』二〇〇五年三月号(アジア太平洋資料センター)は、「ポルトアレグレ―参加型民主主義と連帯経済をつくる市民力」を特集しており、実に興味深い。同誌、五―二三ページ参照。
3) サンパウロを中心に活躍した在野の歴史家、アンドウ・ゼンパチさんの書いた『ブラジル史』一九八三年、岩波書店、一四四・二一四・二七六ページ参照。
4) 村岡 到「『もう一つの世界』を目指す世界的イベント」『週刊金曜日』〇五年二月二五日。
5)ほかにもWSFを知る上で、有用な本が続々と翻訳されている。たとえばウイリアム・フィッシャーほか編(加藤哲郎監訳)『もう一つの世界は可能だ』〇三年、日本経済評論社、ジャイ・センほか(武藤一羊ほか訳)『世界社会フォーラム―― 帝国への挑戦』〇五年、作品社など。
6) この報告書は、http://www.tni.org/briefing/reclaiming-public-water-briefing からダウンロードできる。
7) 藤岡 惇「自然のなかの社会と経済」角田修一編『社会経済学入門』〇三年を参照。
8)彼らの一部が、警察や権力に泳がされた「挑発者集団」であることをスーザン・ジョージは強調している。スーザン・ジョージ『オルター・グローバリゼーション宣言』作品社、276―297ページ。
9)ガンジー「試練に直面して」マハトマ・ガンジー(森本達雄訳)『私の非暴力1』1970年、みすず書房、152ページ。
10)この点の詳細は、藤岡 惇『グローバリゼーションと戦争』参照。また http://www.space4peace.org/ 参照。
11)Action against Hunger and Poverty :Report of the Technical Group on Innovative Financing Mechanisms, Sept.2004, pp.31-41.
12)『月刊オルタ』〇五年二月号、アジア太平洋資料センター、三一ページ。
13) 北沢洋子「貧困根絶の国際キャンペーンのはじまり」『熊本日日新聞』2005年1月9日付け
14) G-CAPの創設者でアクション・エイド・インターナショナルの国際代表でもあるジョン・サミュエルの基調演説は、田中徹二さんたちのオルタ・モンド翻訳チームの手で邦訳されている。http://altermonde.jp/gcap050301_htmlを参照。
15)フォーラムの模様を伝える写真は、日本ジャーナリスト会議のホームページ http://www.jca.apc.org/attac-jp/japanese/WSF5moeteiruka.html 、および第5回WSFのホームページ、とくにhttp://www.forumsocialmundial.org.br/を参照されたい。

(ふじおか あつし  立命館大学教授)