ムンバイで元気をもらった
        ―第四回世界社会フォーラムの場で考えたこと

 

 二〇〇四年の一月一六日から二一日までの六日間、第四回目の世界社会フォーラム(WSF)がインドのムンバイ(旧称ボンベイ)で開催されるというので、参加してきた。以下ムンバイでの見聞にもとづいて、いくつかの論点を提起したいと思う。

 

世界社会フォーラムとは

 一九八七年以来毎年一月下旬になると、スイスのリゾート地のダボスを舞台に、「世界経済フォーラム」(ダボス会議)が開かれてきた。世界の指導的な経済人・政治家を二千人ばかり集めて、自由な交流の場を提供するという目的をこの会議はもっており、何ごとも決定しないとはいいながら、その実、新自由主義的なグローバリゼーションの推進策を協議・調整するという役割をはたしてきた。
 これにたいして九九年一月末に、「別のダボス会合」を開催したアタック(為替取引に課税して市民を援助する協会)など四団体が、「経済」(モノづくりとマネー増殖)優先の視点ではなく「社会」(人育ちと自然)を優先する民衆の視点にたって、もう一つのフォーラムを開こうという呼びかけを行った。労働党が統治するブラジル最南端の都市――ポルトアレグレが会場を提供することになった。こうして世界経済フォーラムの開催時期にあわせて「世界社会フォーラム」(WSF)が、ダボスの対極の位置にあるブラジルの地で開催されるようになった。1)
 二〇〇一年一月に第一回のWSFが開かれ二万人が参加し、翌年には五万人が集まった。〇三年の第三回フォーラムには一〇万人が集まり、その場で呼びかけられた二月一五日のイラク開戦反対の統一行動には、世界六〇〇都市で二千万人が参加した。そして今回はじめてポルトアレグレを離れ、インドの地に移ったわけである。
 五七名からなるインド組織委員会が結成され、二〇〇の社会運動組織の賛同をえた。インドには三つの共産党がある。インド共産党と、中ソ論争の際に中国を支持するかたちで分離したインド共産党(マルクス主義)、毛沢東の影響をうけて農民の武装闘争を支持するインド共産党(マルクス・レーニン主義)である。前の二つの党は、WSFの開催を支持し側面支援する態度を明らかにしたが、毛沢東主義者(マオイスト)の党は支持しないという立場をとった。
 WSFは、政党の会合ではなく、市民団体と個々の市民のフォーラムであることを強調する。したがって政党単位の参加登録を認めていない。党員は個人として参加してほしい、ただ組織委員会の自主判断で政党代表を招くことはありうる、という立場をとっている。つまりWSFは、何ごとかを決定する場ではなく、市民団体や個人の間の対話と交流の場を提供するだけである。ただセミナーや集会が、何らかの取り決めを行うのは自由である。WSF国際評議会は一定の総括文書を作成するが、賛同するNGOの署名を集めて、次回に申し送るだけであり、方針を決定するものではない。まさに「市民的な公共空間」を提供することに任務を限定しているわけだ。2)政治方針をめぐって抗争と分裂を重ねてきたこれまでの左翼運動の経験を繰りかえしたくないという決意が読みとれる。3)
 グローバリゼーションを促進する立場にたつフォード財団などからも、WFSが助成金を受けとってきたことを左派系の団体は批判してきた。この批判をうけて、今回はNGO系の資金だけを受けいれることになった。その結果、財政規模は半減したが、逆にWSF自身が引き締まることになった。4)

   

一二万人を引き付けた魅力――グローバルな市民的公共圏を求めて

 インド最大の都市――ムンバイ北部ゴレガオンの巨大な機械工場の跡地が会場となった。周辺は世界最大のスラム街である。工場建物が集会場用に区切られ、即席のテント村が出現した。下町のドン・ボスコには別に「国際青年交流キャンプ」が設けられ、数千の若者がテントに泊りこんだ。
 会場では大小一二〇〇のセミナーやワークショプが開かれ、三〇〇の出店が立ち並んだ。一三ケ所の常設舞台では、演劇・合唱・ダンスが実演され、文化ありデモ行進ありと、まさに巨大な交流と学びの祝祭となった。
 準備過程ではインターネットが絶大な役割をはたし、参加団体は世界一三二ケ国の二六六〇団体、参加者数は最高の一二万人となった。インド国内からの参加者九万人のなかでは、ダリット(不可触賎民)層、山岳に追いやられた先住民族、チベットやブータンから逃れてきた難民たち、児童労働の禁止を求める子どもたち、家父長制に反対する女性たち、宗教原理主義や部族排外主義(コミューナリズム)に反対する人々が目立った。土地、水、食料、そして愛育(ケア)といった人間の基本的ニーズにかかわる「財貨」は、商品ではなく人権として取り扱いミニマム保障を万人に行え、と要求する彼らの意気高いデモや伝統文化の実演が、WSFの活力源の一つとなった。
 日本からの参加者は、ピースボートに乗ってきた三五〇名を初めとして、JR総連の一五〇名、AALA・平和委員会の三五名、アタックの三〇名、原水協の二五名、労働組合の「連合」の二〇名などが大どころで、総計すると七〇〇名ほど。日本国内では対立しあう団体も、WSFの場では同席し、交流しあった。また日本でも小倉利丸さん(ピープルズプラン研究所)たちのお世話で「WSF日本連絡会」が組織され,メーリングリストを用いて参加希望者間の交流をおこなってきた。リスト参加者は三百人、共有されたメールは一千通を超えた。
 WSFのイベント案内書だけで大判の一二〇ページ。案内書を手に会場を渡り歩く人々。試験も単位もなく資格も得られないのに、人々は手弁当で集まり、目を輝かして学び、自己の経験を体で表現し、きれいな心と勇気をもらって帰っていく。理想的な「民衆の大学」、「学習する市民社会」の姿がそこにあった。
 現在の不幸の多くは政治経済システムの欠陥の結果であり、「もう一つの世界」――自然と人間を中心におく社会、持続可能な共生社会への転換は可能なはずだ。しかし「もう一つの世界」とは何であり、どのような方法で創ったらよいのか。この点については、ソ連の崩壊もあり、定説がない状態である。この事実を率直に認め、実践的経験を交流するなかで、ともに未来社会を探しあててほしいというWSF事務局の「押し付けない」姿勢が、逆に参加者を引き寄せる魅力となった。

 

ムンバイというところ

 インドの一人当たりGDPは、日本の一・五%にすぎない。ムンバイは、インド最大の都市で、戦前の大阪・神戸を合わせたような商業と金融の町。かつては、この地の繊維産業に強力な労働運動の地歩を築いていた共産党の地盤であったが、八二年の繊維産業の大ストを転機に繊維工場が組合のない地域に逃避するようになった。それとともに左翼の影響力は衰え、ヒンズー至上主義のシヴァ・セナ(シヴァ軍団)党が支配する右翼の都市に変わっていった。5)シヴァ(シヴァジー)とは、植民地化を策する英国勢力に最後まで抵抗したこの地の軍人の名前。この党は、大量失業の原因を資本の戦略に求めず、州外民の流入とムスリム住民に求め、よそ者をスケープゴートにする傾きがあり、政権党のインド人民党(BJP)の友党だ。ボンベイをムンバイと改称したり、空港や駅の名にシヴァジーの名前を冠したり、英国国王夫妻の訪印を記念して建設されたインド門の前に、門を睨みつけるような格好のシヴァ将軍像を建立したのは、この党である。

 

グローバリゼーションは戦争をもたらした

 グローバリゼーションには二つのタイプがある。住民の下からの自発性に依拠した水平型と支配層の意志を上からおしつける垂直型だ。連日発行されたWSFの非公式新聞の紙面には、「今こそ下からのグローバリゼーションを」というスローガンや「人権や運動、意識のグローバル化を」といった言葉が躍る。新聞名は『いのちの大地、万歳』。「いのちの大地」に根ざした下からのグローバリゼーションで、トップダウン型と斬りむすんでいこうという心意気が鮮やかであった。
 アラビア海に夕日が沈む頃、開会式が始まった。まずパキスタンの人気ロックバンドのジュヌーンが登場し、インド・パキスタン間の戦争の扇動を許すなとライブで訴えた。感激のあまりバンドにあわせて踊りだす人が続出した。 WSFの伝統的なスローガン――「新自由主義的グローバリゼーションに反対しよう」が影をひそめ、「帝国主義的グローバリゼーションに反対しよう」が前面に現われてきたのが、今回の特徴だといってよい。『帝国を壊すために』(岩波新書)を書いたインドの作家のアルンダテイ・ロイさんは次のように語った。「もう一つの世界は可能だ」というスローガンをかかげているのは私たちだけではない。米国のブッシュ政権を支える新保守主義者(ネオコン)も同じスローガンをかかげて登場した。「世界民主化=アメリカ化」という彼らの理想を達成するには、新自由主義の経済戦略だけでは間尺にあわない。国連ぬきの先制攻撃という軍事手段も併用すべきであり、(宇宙とITと核の覇権をバックにした米軍の戦力をもってすれば――藤岡)「もう一つの世界」の形成は可能だと彼らは考えている。(「独占軍国主義」をバックとする)「帝国主義的グローバリゼーション」の危険な時代が来たのだと。会場の演壇には、核戦争のきのこ雲の巨大な壁画が飾られていた。
 核戦争とはいかなるものか。日本からやってきた二〇名の被爆者の証言は、やはり圧巻であった。日本人のなしうる平和への最大の貢献は、被爆者の証言だと感じた。私は、今年のノーベル平和賞を日本の被爆者団体協議会に与える運動を展開しようと呼びかけた。

 

ニュクリア・スターウォーズの危険

 国際的な反核ネットのアボリッション二〇〇〇は、一月一八日の夕刻に「核戦争の脅威」と題するセミナーを開いた。約一〇〇名が集まったこのセミナーで、「宇宙への兵器と核エネルギーの配備に反対する地球ネット」を代表して、私は次のような報告をした。上からの垂直型グローバリゼーションの極北は、宇宙からの地球の支配である。米国は、〇五会計年度の国防予算案に宇宙配備型迎撃ミサイルの開発費を正式に計上した。「死の星」計画と呼ばれるX線レイザー衛星計画も含めて、宇宙空間に兵器を配備するというかねてからの構想が実現にむけて大きく前進した。敵ミサイルを確実に破壊するために、迎撃ミサイルに小型核弾頭を装着するという計画も日程にのぼるであろう。
 この一月一四日にブッシュ大統領は、一五年にも米国人を月に送り込み、月面に恒久基地を建設し、そこから火星征服の部隊を送るという軍民両用型の新宇宙戦略を発表した。一兆ドルはかかると予想される宇宙植民地化の計画である。宇宙には電線は引けないのでエネルギー源は原子炉となるだろうし、宇宙線被曝量を下げるため宇宙船の高速化が不可欠となり、核推進ロケット開発のプロメテウス計画が促進されるであろう。しかし人間は「宇宙の支配者」ではなく「一時の間借り人」ではないのか。蝋の翼で太陽に向かって飛ぼうとしたイカロスの愚を繰り返してはならない、と。
 このセミナーでは、広島市長の代理として広島平和文化センター理事長の斎藤忠臣  さんが、来年度のNPT条約見なおしから二五年にかけての核廃絶の行動計画を打ち出す報告をされ、深い感動を呼んだ。

 

人権と民主主義のための非暴力の闘い

 今回の旅には、もう一つの目的があった。マハトマ・ガンジーの孫のアルン・ガンジーさんをムンバイの自宅に訪れ、闘病中の奥さんのスナンダさんを見舞うことである。九七年秋の世界平和博物館会議以来、アルンさんたちを三度日本に招いてきたが、スナンダさんとは九九年春に米国メンフィスの別宅に訪ねて以来会っていない。
彼らの住居は貧困地区の古ぼけたアパート群の一角にあり、長男のツシャールさん一家と同居していた。一家をあげた 歓迎をうけたが、質素な暮らしぶりには感心した。ツシャールさんは、曽祖父マハトマの遺灰を政府から取り戻して、ガンジス川の源流から自然に戻した人であり、マハトマ・ガンジー財団代表をしている。彼の団体もWSFに出店するというので、会期中に日本からの参加者との交流会をセットすることにした。
 ムンバイとその北側のグジャラート州は、ガンジーが指導した非暴力運動の拠点であったが、今はヒンズー至上主義の政党が権力を握り、二年前にはイスラム教徒二千人が殺され、数百の女性がレイプされるという事件が起こったところである。「インドのヒットラー」と呼ばれる州知事のナレンドラ・モディが黒幕である。6)
 このグジャラートの虐殺展示場内には、犠牲者の数だけのレンガを渦巻状に積んで、中心に犠牲者の血染めのシャツを置き、その血を参観者の額に付ける追悼の場がある。この場を使って、ツシャールさんと日本の被爆者とが語りあう集いを企画した。民衆同士を引き裂く憎悪と暴力の扇動を許さないという決意が、WSFの会場全体にみなぎっていたことは心強かった。
 ムンバイでは、正義と平等を求めるダリット層・児童労働の禁止を求める子どもの運動、パターナリズムに抗する女性の運動・狂信的な宗教原理主義やコミューナリズムに反対する運動が、多彩な姿で結集し、運動交流を行った。これまで発展途上国では、「市民社会の形成」を求める運動は根付かないとされ、「武装闘争で社会主義革命を」といった性急なスローガンを唱える暴力的な運動が多かった。しかしインドでも民衆の要求のほとんどは、平和と市民権、個人の尊厳を求める民主主義的な性格のものであり、その要求がきわめて切実なものであること、この点では先進国の市民運動と共通するところが多く、相互の連帯強化が大切であることが浮かび上がってきたように思われる。

 

どう抵抗するか――民主主義と経済発展を結びつける内発型戦略の模索

 帝国主義的グローバリゼーションにどう抵抗したらよいのかが、WSFの最大のテーマだ。これまでポルトアレグレが、WSF開催地として注目されてきたのには理由があった。この地は、左翼=ブラジル労働党の拠点でありながら、経済的にも好業績をあげていることが評価され、その秘密を探ろうと参加者が押し寄せたからである。昨年三月京都で開かれた世界水フォーラムでも、ポルトアレグレの水道の建設・管理システムが、住民参画型ゆえに好業績をあげているという報告がなされたが、「国家の失敗」、「市場の失敗」を乗り越える第三の道――市民社会を発展させ、住民参画のパワーで経済も発展させるという道をこの町は切り拓いていると評価されている。この地の北に位置するクリチバ市も環境都市として評価の高いところであるが、7)このような「エコ・人間中心の開発モデル」をどのようにして作りあげればよいのか。風土と文化に根ざし、経済民主主義の立場に立つ「もう一つの発展戦略」の探究が、ムンバイでも着実に続けられた。

 

「大量普及の武器」としての文化・芸術の役割

 宇宙覇権をバックとしたトップダウン型グローバリゼーションの支配する世界では、勤労民衆は、文化・宗教・民族の違いによって分断され、下向きの生存競争に組織され、相互にいがみあう悲劇が続出する。このような攻撃とどう闘ったらよいのか。ムンバイが出した一つの答えは、多元的に分断された民衆グループの間で相互に交流しあう祝祭のような雰囲気をもつ「公的な文化空間づくり」が大切であり、美的表現を介したコミュニケーションが、相互理解をたやすくする武器となるということであった。8)奴隷的な労働に苦しむ子どもたちの解放を訴える演劇「スパルタクス」を子どもたち自身が上演したのは圧巻だったし、最終日に行われた市中デモでは、真実をムンバイ市民に伝えるだけにとどまらず、美的=芸術的に伝えるための文化的パーフォマンスに工夫がこらされた。非暴力の原則を守り、市民的不服従・自己犠牲をいとわないという倫理的に正しい方法で真実を伝えようという善意にあふれた行進でもあった。真実が美と善によってサンドイッチされ、対話を可能にするかたちで伝えられようとするとき、デモの感化力は最大となる。文化芸術を「大量破壊の兵器」ならぬ「大量普及の武器」として鍛えていこうという呼びかけは、参加者のハートをとらえるパワーをもっていた。

 

極左的な暴力主義的ラディカリズムに抗して

 フォーラムでは「政治活動の手段として民衆の命を人質にとるグループ」の参加を拒否している。これに反発してマオイストのグループは「フォーラムは帝国主義のトロイの木馬」だとして、対抗集会をぶつけてきた。会場の真向かいで開かれた「ムンバイ・レジスタンス」という名の集会には、インド各地の急進的な農民運動団体を中心に数千名が集まったが、WSFを破壊しようとする行動まではとらなかった。東欧を中心にして組織され、シアトル・ジェノヴァなどで挑発的な破壊活動を続けてきた「黒色陣営」(暴力主義的アナーキスト集団)は、ムンバイには姿を見せなかった。9)
 他方、インド共産党とインド共産党(マルクス主義)は、WSF成功のため縁の下の力持ち役を誠実にはたした。両党とも世界の社会運動との協同の経験から得るものが多かったことであろう。 日本でも、「ワールド・ピース・ナウ」などの若者の平和運動を、怒りの激発を忘れた「馬鹿げたお焼香デモ」と攻撃する辺見 庸さんの論文をきっかけに、「交通ルールを守る明るい運動」「人間と生命へのやさしさにもとづく平和運動」の評価をめぐって、同様の論争が行われている。注目していきたい。10)

 

マルクスとガンジーの創造的な重ねあわせを

 最終日の二二日の午後、ガンジー博物館のあるマニ・バヴァンの近くの公園に集まり、そこから閉会集会の行われる市庁舎近くの公園まで四㌔をデモ行進した。国際色豊かなデモの隊列からもっとも強くアピールされたのが、米英軍のイラク侵略一周年の三月二〇日に世界反戦デーに参加しようという呼びかけと、米国製品をボイコットしようという訴えであった。
 ガンジーが呼びかけた英国製品のボイコット運動は、大英帝国を瓦解させ、インドを独立に導く力を発揮した。今回のWSFでは、この経験に学び、ブッシュに献金する米国企業の製品をボイコットしようというアピールが大きな共感を呼びおこした。デフレの時代というのは、消費者の力が強まる時である。この運動が世界的に広がると、米国の新帝国主義戦略がもたらす経済コストは未曾有のレベルに高騰していくことであろう。開会式で先のアルンダテイ・ロイさんは、「ムンバイ・レジスタンス」に結集する勢力と、この一点で協力しあってはどうかと呼びかけていた。当面の焦点は三月二〇日の世界反戦デーとなるが、この日にあわせて、エッソ・モービルなどの米国系石油企業、煙草のフィリップ・モリス社、コカコーラ社に対象を絞ったボイコット運動が展開される。こんごの発展を注視していく必要があろう。11)
 英国製の繊維製品をボイコットする一方、ガンジーたちは国産品の愛用と糸車(チャルカ)を使って自力で布を織る運動を提唱した。米国製品に依存せず、日本人の自律心を高めていくためのカギ――「二一世紀の糸車」とは何であろうか。家庭菜園を拓き、大地を肥やし、生鮮野菜を有機農法で栽培する運動、再生可能エネルギーを地域分散型で生みだす運動などが、まず念頭に浮かぶ。世界の労働人口の一/三が失業ないし反失業状態にある今日、「大量生産ではなく大衆による生産」に役立ち、人々の実利と健康づくりにも役立つ「二一世紀の糸車」とは何であるのか。叡智を集めて探究していきたいと思う。

1) 北沢洋子「世界は地の底から揺れている――世界社会フォーラム報告」『世界』〇四年三月号、岩波書店、一一三ページ。フランソワ・ウタールほか『別のダボス』〇二年、柘植書房新社、二〇三ページ。
2) 市民的公共圏づくりの意味については、斎藤純一『公共性』二〇〇〇年、岩波書店、ⅲページ参照。
3) WSFをめぐる資料集として(加藤哲郎監訳)『もう一つの世界は可能だ』〇三年、日本経済評論社、四茂野 修『帝国に立ち向かう』〇三年、五月書房、一八六ページ以下を参照。
4) S.Balakrishnan, Six-day WSF event will cost Rs.8.5crore, The Times of India, Mumbai, Jan.15,2004.
5) Vijay Prashad, Politics at the Venue, Znet Commentary, Jan.11,2004.
6) 詳しくは、アルンダテイ・ロイ『帝国を壊すために』〇三年、岩波新書、六六ページを参照。
7)ポール・ホーケンほか『自然資本の経済』〇一年、日本経済新聞社、一四章を参照。
8)社会運動における文化芸術の重要性については、毛利嘉孝『文化=政治』〇三年、月曜社を参照。米国での実例は、拙稿「ワシントンでみた反グローバリズム市民運動」『経済』〇一年六月号を参照。
9)アタックは、黒色陣営がジェノヴァの治安警察に「泳がされて」いた実態を暴露している(ATTAC, Sand in the Wheel, Oct.2002)。またスーザン・ジョージほか『徹底討論グローバリゼーション』〇二年、作品社、一二二ページ。拙稿「ワシントンでみた反グローバリズム市民運動」『経済』〇一年六月号、一二七ページも参照。
10)辺見 庸「抵抗はなぜ壮大な反動につりあわないのか」『世界』〇四年三月号。これにたいする反論は、高田 健「反戦の闘いに内在するか、外部から嘲笑するか」『技術と人間』〇四年三月号
11)ボイコット運動の詳細は「母なる地球のために」というNGOのサイトの http://www.motherearth.org/ および「平和のための選択」http://amanakuni.net/HotNews/HN_usfubai.html を参照されたい。