藤岡 惇(立命館大学)・乗松聡子(ピースフィロソフィー・センター)
広島・長崎への原爆投下、「核の時代」の幕開けが何を意味するかをめぐって、米国民とアジアの人々、日本人、そして被爆者の間には、なお大きな認識ギャップが存在する。被爆50周年の1995年にスミソニアン航空宇宙博物館において計画された原爆展の中止が、認識ギャップの大きさを示したといってよい。
1994年にアメリカン大学を卒業した直野章子さんが、ピータ・カズニック教授(歴史学)の協力をえて、1995年の同大学の夏季特別科目として、「ヒロシマ・ナガサキを超えて」の設置を企画し、原爆展を独自に開催するとともに、受講生を日本に送ろうとした。私は、直野さんに依頼されて、このプログラムの「日本への旅」部分の実施に協力した。
96年以降も、アメリカン大学は、「日本への旅」部分の継続を要請してきたので、立命館大学でもこれに対応して、アメリカン大学と連携するプログラムを恒常化することになった。世界の学生たちとともに、京都(立命館大学国際平和ミュージアム)、広島(平和記念資料館)、長崎(原爆資料館と岡まさはる記念平和資料館)をベースにして、平和創造の道を探求するという目標をかかげた新科目――国際平和交流セミナー(広島・長崎プログラム、2単位)は、こうして生まれたのである。
14回目となる2008年度は、アメリカン大学を窓口にして11名の学生、カナダのバンクーバから3名の学生、立命館アジア太平洋大学から4名の学生(うち2名は国際学生)、立命館大学から12名の学生、合計30名の受講生(うち5名がアジア系、11名が白人系)が参加した。そのほかに先輩(過年度参加)学生4名が「学生コーディネイター」として、旅行に同行し、実務をとり仕切ってくれた。
講師側としては、アメリカン大学のピータ・カズニック教授、立命館大学の藤岡 惇、カナダ側コーディネイター兼通訳として乗松聡子さん、ゲスト講師として近藤紘子さん(アメリカン大学卒業、被爆者)の4名が参加した。総計すると38名が、今夏も11泊12日の旅行をおこなったわけである。
受講料は宿泊料・長崎までの片道交通費こみで5万5千円。AU学生のばあい、往復の飛行機代もふくめて30万円ほどの支払いが必要となる。単位取得を目的としないばあいでも、空席があるかぎりは受け入れる。今年から始めたカナダからの参加はこのケースだ。
8月1日(金) プログラムの説明・日本案内、京都観光
2日(土) 立命館大学国際平和ミュージアム見学、展示をめぐる交流会、講演
3日(日) 講演と対話のワークショップ、京都各地の体験学習
4日(月) 広島へ出発、平和資料館見学。広島市立大学平和研究所で松原美代子さんの証言、原爆投下を裁く民衆法廷運動をめぐる田中利幸教授の講義
5日(火) ジョン・ハーシ「ヒロシマ」再訪、世界平和記念聖堂、縮景園、放射線影響研究所を訪問、レベッカ・ジョンソンさんの講演
6日(水) 慰霊式典に参加、ワールド・フレンドシップセンターの行事、原水禁大会の取材、原爆乙女の一人の山岡ミチコさんお見舞い、宮島見学
7日(木) 資料館のS.リーパー理事長、秋葉市長との懇談会。長崎に移動、
原爆資料館の見学、長崎被災協での山田拓民事務局長の講演
8日(金) 三輪隆志さん被爆証言、午後に岡まさはる記念平和資料館見学
9日(土) 城山小学校での式典・市主催の慰霊式典に参加、軍艦島クルーズ、
お別れパーティ
10日(日)長崎でまとめのワークショップ。解散。
11日(月) 外国人学生は東京大空襲資料館を訪問、離日
共通テキストのジョン・ハーシ『ヒロシマ』に出てくる最年少の登場人物が、被爆当時8ヶ月であった近藤紘子さんだ。原爆乙女の米国マウント・サイナイ(シナイ山)病院での整形手術運動を推進した谷本清牧師の長女で、アメリカン大学の1969年の卒業生でもある。広島では、彼女の先導で、テキストに出てくる地域を実際に歩き、カソリック教会や高橋病院の跡地、谷本牧師が被災者を対岸に渡したとされる船着場がどこにあったのかを探る。このような手法で体験学習をおこなうことで、63年前の惨劇の場を追体験することが出来る。また近藤紘子さんが米国のテレビ番組に出演した際に、原爆を投下したロバート・ルイス大尉と会い、彼が涙を流すシーンを目撃することにより、和解できたという証言をお聞きしたり、少女のころに、比治山の旧ABCC(原爆被災者調査委員会、現在は放射線影響研究所)で屈辱の体験をされた講堂を訪ねたりする。
トルーマン政権は、なにゆえポツダム宣言の草案第12条(天皇制の存続を日本国民の意思に委ねる)を削除し、日本の支配層をして「ポツダム宣言黙殺」の立場に追い込み、瀕死の日本帝国に2発の原爆を投下した後になって、やっと天皇制の存続OKのメッセージを送り、戦争を終結させたのだろうか。原爆投下は不必要で、悪質な戦争犯罪であり、投下を命じたトルーマン大統領は戦争犯罪人とみなすべきだというのが、カズニック教授の持論であるが、これまでタブー視されてきたこの論点が、ようやく日本でも討論の対象となってきた。06年の7月15-16日には、「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」が行われるなど、日本でも新しい動きが見られる。
と同時に原爆投下を招いた日本の支配層の責任を軽視しないためにも、長崎では日本帝国の侵略の歴史とアジア人被爆者問題を重視する岡まさはる平和資料館の参観を奨励している。
2003年3月に、ブッシュ政権は、国連憲章をはじめとした国際法に違反して、イラクへの先制攻撃に踏み切った。「イラクは核兵器を開発しておくべきだった、そうすれば、米国の先制攻撃を阻止できたはずだ」という議論が広がり、核兵器の水平的拡散の動きが激しくなり、対抗して宇宙兵器の配備やミサイル防衛、第4世代の核兵器開発問題など、核兵器の垂直的拡散の恐れも出てきた。これに対応して、スコットランドのファスレーンでは、原潜基地の365日間連続閉鎖の試みなど、ユニークな反核運動がもりあがっているという。本プログラムでは、このような現代的な問題も率先してとりあげてきた。
ピータ・カズニック教授は、秋葉忠利広島市長と親交があり、また日本代表団のワシントン訪問の際のホスト役をすることも多く、彼を介して、多くの魅力ある人士と交流できる。毎回、秋葉市長を招いて討論会を行ったり、平和資料館館長のスティーブ・リーパーさんとの交流会を行えるのも、ピータのおかげである。
今年もアメリカン大学からは、ネバダの核実験場の被害を受けた風下住民や、ベトナム戦争の枯葉剤散布作戦で傷ついた米兵を父にもち、ガンの末期患者となった学生などが参加してくれた。毎年、厳しい体験をもつ参加者が多く、人生をバックにした真剣な交流ができる魅力も大きかったと思う。
受講生には、旅行終了後につぎの問に答えるレポートを作成してもらう。
広島・長崎の惨劇にかかわった当事者たちの責任は、与えられた権限や選択の自由の幅によってさまざまであったろう。広島・長崎の惨劇とはほとんど無関係であるが、比較のために、同時代にユダヤ人などのジェノサイドをもたらしたヒットラーの責任の重さを仮に100としよう。
① ポツダム宣言草案第12条(条件付降伏の容認)を削除させたうえで、原爆投下を命令したトルーマン大統領の責任、原爆投下には沈黙をまもりとおし、戦後水爆工場の建設に大きな役割を果たしたジェームズ・バーンズ国務長官の責任、
② 原爆投下機の乗組員の責任、
③ 東アジア諸国への「侵略」戦争を行い、原爆投下を招くことになった日本の戦争指導者の責任、
④ 日本における最高権力者とされた昭和天皇の責任、
⑤ 「侵略」戦争に協力した日本の成人庶民の責任は、どの程度のものだと考えられるか。5者につけた点数の根拠も述べよ。
数量化を含めたこのような因果連関を問う問題に答えるには、相当広くて深い知識と判断力がなければ難しいのであるが、あえてこのような難問に挑戦してもらっている。
このプログラムが単位のついた正規科目となったことは、逆に参加者を受け身の「お客さん」に変えてしまう危険をはらむ。下手をすると、観光旅行の「パック・ツアー」に近いものに変質してしまう恐れがあるのだ。
そうならないために、過年度の参加者のなかから4名ほどを学生コーディネイターとして募り、彼らに旅行の運営・実務の大半を任せている。先輩学生としての彼らは、過去のセミナーの際には果たせなかった「自分の夢」を実現しようとする。「旅行のしおり」を作成し、予定通りのペースで『旅行新聞』が発刊されるように支援するのも、宿舎の部屋割りや交通手段の手配を行うのも学生コーディネイター集団の任務となる。
全参加者から「共通経費」(タックス)として7000円を徴収しているが、学生コーディネイターの一人が、「財務長官」となり、市内の移動費やゲストへの記念品、名簿や新聞発行代、記念写真代、長崎での最後の打ち上げパーティの費用として運用している。
このような歩みのなかで、この科目の実体は、私の指導する実習ゼミナールという色彩が薄れていき、上級生が企画し経験を伝承していく「学生サークル」のようなものに変わっていった。それに応じて私も、「指導教員」という存在から「コーチ」役に変わっていったような気がする。
受講生にたいしても、さまざまな任務を担ってもらい、コミュニティの主人公となってもらうように励ましている。「若者にとって一番大切な権利は、失敗する権利だ」という言葉があるが、「失敗を冒す」なかでこそ、本当の学びができるものだ。意見の対立や衝突などが発生するが、このような「波風体験」をつむなかでこそ、偽りのない人間関係が生まれ、人間的に成長していける。このような経験を積むなかでこそ、紛争を非暴力的にハンドリングでき、紛争レベルを逓減させていける力量が身に付いていくのであろう。毎年、旅先に、過去の参加者――OB・OGたちが集まってくる。カップルでやって来たり、赤ん坊を見せにくる人もいる。今年も6―7名が集まってくれたが、彼らのなかには波風体験をした者が多いように思う。
2年前から、バンクーバ在住の乗松聡子さん(ピース・フィロソフィーセンター)に通訳をお願いしている。おかげで日本人と外国人との学生相互の間の見解交流のレベルが格段にあがった。「大きなお姉さん」として乗松さんに果たしてもらっている役割には、格別のものがあり、感謝したい。
最後に指摘しておきたいことは、このプログラムに参加するには、相当の費用が必要だということだ。とくにアメリカン大学のプログラムに参加するには、数十万円が必要となる。経済的にゆとりがない米国系の学生に参加してもらうために、ことしは過去の参加学生に募金を訴えて、5千ドル程度の奨学金を集めることができた。こんごもOB・OGや篤志家に浄財を寄付してもらう方策を考えていきたい。
Program Themes: American and Canadian participants visit Hiroshima and Nagasaki, join students from Japan and work together to:
Destinations: Kyoto - Hiroshima - Nagasaki
Professor Atsushi Fujioka, Ritsumeikan University, Department of Economics
Professor Peter Kuznick, American University, Nuclear Studies Institute
Koko Kondo, Hiroshima atomic bomb survivor, and graduate of American University
Satoko Norimatsu, Interpreter and Canadian Coordinator
The world was shaken by the attack on World Trade Centers in New York, and by the U.S.-led war against Iraq. Tensions remain high in the Middle East and on the Korean Peninsula around the issue of nuclear development, and global military competition has expanded into Space. How can we straighten the tangled strings of hate and revenge, and find a way out from the vicious circle of violence and war?
Nobody can give an easy answer. Hiroshima and Nagasaki can, however, provide fertile starting points for thinking about these issues and can give us courage and wisdom for dealing with the challenges they pose. The objective of this program is to place ourselves squarely in these world-historically important places, commemorate the 63rd anniversary of the atomic bombings, and join with students from around the world to explore what means we have to seek reconciliation among foes, the creation of peace, and the survival of humankind.
The debate over the A-bombing of Hiroshima and Nagasaki, and its historical significance as the the dawning of the "Nuclear Age," remains contentious. Wide gaps appear to remain among the understandings of American, Japanese and other Asian peoples. Ritsumeikan University and the American University in Washington, D.C. jointly developed and run this exchange program in order to fill these gaps. In 1995, the Smithsonian National Air and Space Museum cancelled its planned A-bomb exhibit. This incident motivated the American University to hold its own A-bomb exhibit and extend invitations to the Mayor of Hiroshima as well as many survivors. This event inspired the birth of this program, which this year marks its 14th anniversary.
The main text for discussion will be John Hersey's classic reportage "Hiroshima," which first informed Americans of the horrific conditions in Hiroshima following the A-bombing. Accompanying this year's participants will be Koko Kondo, who appears in Hersey's book as the youngest baby hibakusha. Ms Kondo is the first daughter of Rev. Kiyoshi Tanimoto, leader of the Hiroshima Maiden Project which brought 25 young female hibakushas to the U.S. for treatment of facial scarring caused by A-bombing.
Program Itinerary (subject to change):
July 31(Thu.) Arrival in Japan (Kansai Airport)
August 1(Fri) Sightseeing in Kyoto, and Welcome Party
August 2(Sat) Visit Ritsumeikan International Peace Museum, Workshop/Lecture
August 3(Sun) Visit the War Exhibit at Ritsumeikan International Peace Museum, Workshop/Lecture, and a field trip in Kyoto
August 4Mon) Leave for Hiroshima, visit the Hiroshima Peace Memorial Museum
August 5(Tue) Visit sites referred to in John Hersey's "Hiroshima" / mid-term debriefing
August 6(Wed) Attend the Hiroshima Memorial Ceremony, and visit with hibakusha and related organizations
August 7(Thu) Discussion with the Mayor of Hiroshima / leave for Nagasaki / visit the Nagasaki Atomic Bomb Museum
August 8 (Fri) Visit hibakusha / field trips to war-related sites in Nagasaki
August 9 (Sat) Memorial Ceremony at Shiroyama Elementary School / Attend Nagasaki City's Memorial Ceremony / visit Gunkan Island (optional)/ Farewell Party
August 10 (Sun) Wrap-up workshop / program ends in Nagasaki around noon
Required Reading: "Hiroshima" by John Hersey (1946, 1985), Random House
- 10-night accommodation from the night of July 31st to August 9 (4 nights in Kyoto, 3 nights in Hiroshima, 3 nights in Nagasaki)
- Costs associated with all group activities such as museum admission, local transportation, welcome and farewell parties, honoraria to guest speakers and staff, and all administrative and coordination costs.